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今かぐわしき人々 第180回
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    第180回:原田伸郎さん(シンガーソングライター、タレント)

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僕にはプロという意識がない。
ただ当たり前にあるものを壊していくのが得意。

 『赤とんぼの唄』、『魚屋のおっさんの唄』…。1970年代から80年代にかけてコミック・ソングで一世を風靡したフォークソングデュオ、あのねのね。原田伸郎さんは、大学在学中に清水国明さんとコンビを組み、今年50周年を迎えます。「ネコニャンニャンニャン、イヌワンワンワン…」はTikTokで2億再生回数を超え、若い人たちの間でも話題に。一度聴いたら忘れない特徴のある声でラジオやCMナレーションでも人気となり、はたまた、書道家としても活躍する原田さん。70歳を超えてもなお若々しい、生き方上手な素顔に迫ります。

《1》旅館のバイトをクビになったおかげで歌うバイトが来た

 原田伸郎さんが清水国明さんと”あのねのね”を結成したのは京都産業大学に通っていた頃。

「京都大学産業学部の頃やね。…(マネージャーから「今、京都大学、って言いましたね」とツッコミが入る)うん、京都の、大学。でね、落語研究会に入ったら、そこに落語のうまい先輩がいてね。『先輩、僕、入部したいんですけど』と言ったら『オレも1年生や』と。それが今の笑福亭鶴瓶だったんですよ。髪の毛はアフロまではいってなくて、ちょっと長めなくらいでした」

 原田さんは鶴瓶さんとすぐに仲良くなりましたが、鶴瓶さんは2年生のとき、笑福亭松鶴師匠のところへ弟子入りし、学校を辞めました。

「それで、鶴瓶が在学中にやってた三木半旅館というところのバイトも辞めるから、おまえ、代わりに行けへんか、と。やるよと言って、そこへ行ったら、すでに働いていたのが清水国明さんだったんですよ。そこで清水さんと出会ったんです。彼は福井出身で。今度は清水さんと仲良くなって。彼もギターを弾くのが好きだったので。住み込みのバイトで、お膳あげて布団敷いて、掃除してという仕事でした。それが終わって学校へ行くんです。僕の実家は嵯峨・嵐山だったんで、遠いんですよ。だから住み込みのバイトはとても便利だったんです」

 楽しく働いていたはずの原田さん。しかしちょっとした事件が起きました。

「隣の旅館がアルバイト代を値上げしたということが伝わってきたのです。うちの旅館の女将さんに言うと『隣は隣、うちはうちです』と。『それならストライキを起こします』と言ったら、女将さんは激怒しました。『あんたがみんなをけしかけてるんや!』と、僕はクビになりました」

 当時、7000円くらいだったアパートの家賃も溜まっていました。そこで清水さんが探してきたのが、二人に打ってつけのバイトでした。

「清水さんが探してきたのが、ビアガーデンで歌をうたうというバイトだったんです。それで、最初は他人の歌をうたっていたのですが、それもつまらないなあと。それで、小噺や落語のネタを取り込んだような笑える歌をつくってうたい始めたんです。ギャグ・ソングですね。♪魚屋のおっさんが火傷した…アジッ!!というような(笑)。これがウケたんです。あのねのねを見にビアガーデンに来る人たちが増えていきました。ある時、当時の近畿放送ラジオ、今のKBS京都の人が見に来て『ラジオに出ませんか』という話になりました」

 そこからは、とんとん拍子。関西ローカルで大人気のテレビ番組だった『ヤング OHOH!』に出るとまたファンが増えました。
 レコードを出さないか、という話になり、『赤とんぼの唄』を出したら40万枚のヒットになったのです。

原田伸郎さん

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