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    第16話 『麻貴の彷徨』

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【ここまでのあらすじ】

(詳しくは3話、8話、12話をお読みください)
麻貴はフラワー・アーティストの仕事をしている41歳。7歳年下のピアニスト、篠原翔平と半同棲を続け、とうとう自分から結婚したいと言い出してみたが、翔平はその決断にはどうも踏み切れない。…


《1》

オリエと翔平のライブが終わり、客は三々五々に席を立っていった。
  演奏が終わってもこちらを見ない翔平の様子に、麻貴は立ち上がり、会計を済ませて、店を出た。

外はむわっと暑かった。クールになれない湿気と暑さに、1杯だけ飲んだビールの酔いも手伝って、麻貴はふらふらと信号を渡り、前から気になっていた小さなスペインバルに足を踏み入れた。ライブハウスのあるビルの前からはいつも、その場所がまるで団欒を囲む灯のように見えていた。
  黒い鉄の飾りのある木の扉を開けると、一枚板の古木のカウンターがあり、赤茶色の革がところどころはげた、丸いバースツールが並んでいた。
  麻貴はそのうちのひとつに、這い上がるようにして座った。

 

「サングリアをください」

「白と赤がありますけど」

 

頭はつるつるだが髭をたくわえた逆さ絵のようなマスターが、皿を磨きながら言った。無駄に笑っていないところに、人の良さがにじんでいた。

「赤で」

 

麻貴の頭のなかには、さっき聴いたばかりのオリエの歌と翔平のピアノがまだ鳴っていた。鳴っているのに、それは自分への音ではない気がした。

「このあたりのお仕事場ですか」

 

さかさ絵のマスターは、麻貴の寂しげな表情には触れず、さりげなく聞いた。

「いえ、違うんですけど。ライブを聴きにきてたんです」

 

麻貴は正直に答えた。

「この辺はたくさんライブハウスありますからね」

 

マスターはそう言って、赤いサングリアを氷の入ったグラスに注ぎ、オレンジをひと切れ載せ、こう言ってカウンターに置いた。

「はい。幸せになるサングリア」。

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