発酵料理、野菜料理と、老若男女に向けて身体が喜ぶ料理を作り続ける舘野真知子さん。NHKの『あさイチ』や『きょうの料理』などでおなじみの料理家です。
今は夫と葉山に居を構え、畑をさわりながら、メニューの開発などを続ける日々。
太陽のような舘野さんの笑顔がどうやって出来てきたのか。その人生のレシピを伺いました。
「私は農家の子だから」。
舘野真知子さんに初めてお会いしたとき、彼女はちょっと照れながらでも誇りをもってそうおっしゃったのが印象的でした。
栃木県出身の舘野さんのご実家は、ぶどうを作っているのだそうです。
「その前は養豚をしたり、苺を作ったりもしていたのですが、みんなと同じことをやっていても仕方がないと、両親は結婚してぶどうを作り始めたのです。ちょうど金婚式で、ぶどうも50年。後継者がいないので、今はかなり縮小して終わりを見据えながらやっているようです。一房ずつ、何十万房のぶどうに袋をかける過酷な作業で、夏は一度は熱中症になるくらい大変なのですよ」
そうしてたいへんな作業でぶどうが育っていくのを見ながら、舘野さんは大きくなりました。農作業で忙しかったお母様は、あまり凝った料理はなさらなかったそう。
「家族経営で祖父母もいましたから、母の料理は手抜きでしたよ(笑)。ある日のお弁当は、伊達巻が5枚に、ふりかけのかかったご飯。蓋を開けて、すぐぱたんと閉めたくなる感じでした。でもそのおかげで、食べたいものは自分で作るようになりました。私が料理好きになったのです。今は母の料理もすごく美味しくて、やっぱりあの頃は忙しかったんだろうなあと思います」
料理が大好きになった舘野さんは。学校で管理栄養士の資格をとり、20代の頃は人工透析のある病院で働いていました。
「28歳までその病院で栄養士をしていました。料理の道をあきらめられず、どうやったらいいのかなと考えて、23歳頃、留学の道を思いついたのです。病院にバレないように資金を作ろうと、お菓子作りが好きだったので、喫茶店のオーナーにケーキを買ってもらえないかと持ちかけました」
1日置きに、違う種類を2ホール。最初はどうやって値段をつけていいのかもわからず、1ホール2000円で売っていたそう。
「その後、少し値上げしてもらいました。あまりにも材料費ぎりぎりだったので(笑)。オーナーは夢を応援してくれてクリスマスケーキも作らせてくれました。しかも80個も注文をとってくださって。しかし80個はたいへんでした。栄養士仲間がスポンジを焼いてくれたりしてなんとか作ることができました。若さですねえ!」
それでも、2年間で30〜40万円は稼いだ舘野さん。どこへ留学するかは、1冊の雑誌をコンビニで立ち読みしたことで決まりました。
「ある雑誌に『世界一幸せな朝食』と紹介されていたのが、アイルランドのマナーハウスだったのです。真っ青な空が広がっていて、羊がいて、洋館がちょこんとある。ああ、私の行くところはここだ、と直感しました。もともと、フランスやイタリアではなく英語圏がいいなと思っていたので、すぐアイルランド留学センターに行きました。調べてもらったら、入学試験はないけど卒業試験はある、と。そこから3年ほどで病院での後継者を育てて、そこへ行ったのです」。