落語界のなかでは孤高の存在である立川流。そしてそこでさらに異色の存在である立川志の春さん。米国・イエール大学を卒業、一流商社を辞めて志の輔さんに弟子入りしたという経歴の持ち主です。人情噺も艶噺も味がありますが、英語での落語も彼ならではの芸。これからやってみたい「香りと味わう落語」など、楽しい話を聞かせてくださいました。
2002年、立川志の輔さんに入門し、2020年4月に真打となった立川志の春さん。
入門までの経歴は、かなり落語家らしくなかったようです。
「小学生時代の3年間、父親の仕事の関係でニューヨークで過ごした、いわゆる『帰国子女』です。1980年代のニューヨークは治安がよくなく、落書きだらけの地下鉄などの記憶もありますが、学校生活はとても楽しかった。だからいつか戻りたいと思ってました。高校2年の時、地元千葉県柏市の姉妹都市交換留学プログラムで、米国・トーランス市へ行った頃から、自分の中で米国の大学への進学が現実味を帯びてきました。目立ちたがり屋のウケ狙いの要素も半分くらいありましたかね。『俺はハーバードへ行ってやる!』みたいな。でもハーバードからは『来ないでいいよ』と言われたので、『おいでよ』と言ってくれたイェールに行くことになりました」
日本の大学は高校卒業時、受験する段階から学部を決めなくてはなりませんが、アメリカは3年生で決めればいいのだそうです。
「高校を卒業した段階で、何を専攻したいかが決まってなかったんです。そういう意味でも、三年次まで待ってくれる米国の大学がいいな、と。結局紆余曲折の末、近代中国史を専攻することになりました。ちょうど香港返還の時期が重なり、これから中国がどうなっていくのかが注目されていたタイミングでした。中国史担当の教授も素晴らしかった。ジョナサン・スペンスという、イギリス出身の、ショーン・コネリーそっくりの教授でした。それはさておき『アメリカ行って中国史やったの?』とよく不思議がられますが、商社に入って落語家になる人間ですから。脈絡のなさは一貫してるでしょう?」
帰国後、一流商社に就職。鉄鉱石部のエリートサラリーマンとして勤務していましたが、25歳のとき、立川志の輔さんの落語をふらっと聴きにいって、衝撃を受けます。
「西巣鴨のファイト餃子という餃子屋さんへ向かう途中で『立川志の輔独演会』ののぼりを見て中に入り、生まれて初めて落語に触れました。想像をはるかに超える面白さでした。私のように一見の客でも疎外感を感じることなく、一人残さず落語の世界に連れて行ってくれるのが『志の輔らくご』でした。餃子のことは完全に忘れてました」
その時の志の輔さんの演目は、新作『はんどたおる』と、古典の人情噺『井戸の茶碗』。
「まず新作が爆発的に面白くて、その後の古典は笑うだけでなく、感情が揺さぶられる瞬間もありました。頭の中に様々な絵が浮かんでくる。そして人間の弱さやだらしなさに対する温かいまなざしも感じる。まさに談志師匠言うところの『人間の業の肯定』です。とにかく恋に落ちました、落語に」