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    第172回:立川志の春さん(落語家)

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《2》名前のつかない見習い期間は、気遣いを学ぶ時間だった

 会社勤めをしている間に「落語家になりたい」という思いを抑えられず、志の輔さんに手紙を書きました。

「初めて有名人に出したファンレターでした。落語に対する思いの丈を書き綴り、おしまいに『落語家になりたいという気持ちが抑えられません』と締めくくりました。普通は『知らねえよ』ですよね、そんな手紙。でも師匠は会ってくれた。そして『悪いことは言わないから会社を辞めるのは止めなさい』と言ってくれた。まだ覚悟も決まっていない赤の他人である僕に、師匠はそれだけの時間を割いてくれた。『失礼なことをした!』と思ったんです。そして『次は会社を辞めてから会いに行こう』と、言われたことと真逆の方向へ突っ走り始めました」

 なかなか誰でもが入社することができないような一流商社をあっさり辞めてしまった志の春さん。再び、志の輔さんに会いに行きました。

「『会社を辞めてまいりました。弟子にしてください!』と言うと『辞めるのを止めろと言ったんだ』と怒られました。でも『辞めちまったものは仕方がない。そこら辺ウロウロしてろ』と言ってくれました。すぐに弟子になれるわけではない、でも周りにいることは許してもらえた。嬉しかったです。後から知りましたが『ウロウロしてろ』というのは、師匠が入門した時に談志師匠にかけられたのと同じ言葉でした」

 弟子ではなく、見習い。それは名前もつけてもらえない、本当に『うろうろする』ことを許されただけの時間でした。

「入門してから気づいたのですが、僕は自分でもびっくりするくらい、致命的に気の利かない人間だったんですね。というのは、アメリカ生活の中で気遣いを求められることはほぼなかったんです。自己主張の塊ですからね、向こうの人は。いわば『言う文化』。対する日本は『察する文化』。僕は察するアンテナの感度が極めて低かった。最初は察する必要性すら感じていなかった。「何かあれば言えばいいじゃない」と。でも、相手の立場になって考えることは大事だな、と修業を通じて感じるようになりました。かみさんにはまだまだだ、と言われますが。とにかくそんなわけで、名前がつくまで1年3か月の期間を要しました」

 1年3か月もの間、名前がつかないのも前代未聞だったようです。

「でも付いた時は涙が出るくらい嬉しかったですね。特に『志の春』という柔らかい名前は想像もしていなかったので。だって本名が『一哲(いってつ)』、会社員時代の配属先が鉄鉱石部ですよ。柔らかさとは程遠いでしょう?」

 2011年には二つ目に昇進。しかしその年には東日本大震災が。2020年4月の真打昇進は、コロナ禍の真っ最中。

「僕が人生の新たなステージを迎えるたびに、必ず何かが起きるんです。会社を辞めた日も、会長と社長の引責退任の日と重なりました。だからもう絶対名前を変えたりしてはいけないんです」

 これからは死ぬまで立川志の春。もはや大事件とは無縁でしょう。

立川志の春さん

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