コロナ渦もあり、真打をお披露目できたのは昨年。
「真打になったら失敗できないから二つ目の間にいっぱい失敗しておいた方がいいよ、とよく言われました。でも失敗を恐れていたら新しい挑戦はできない。そもそも落語は全てが失敗談です。失敗を愛でるのが落語の世界なんです。だからどんどん失敗し続けたい。失敗する方向に自ら突っ込んで行きたい。最終的にそれがいい方向へ繋がればいいんです。一回失敗した後で、どうすればうまくいくのかを考えるのって楽しくありません?」
そんなふうに考えられるのは、もともと立川流が寄席を持たず、自分でプロデュースして落語会を作っていく人たちの集まりであるからという育ちもあるでしょう。
「僕らには寄席のようなホームグラウンドがありません。常に開拓者であり続けなければならない。自分自身が外様だからわかるんです。落語とまだ出会っていない人がたくさんいるって。だから出会いの場をたくさん作っていかなければいけないなと思います」
だからこそ自然に、志の春さんは新しいことを企画し、チャレンジし続けています。
コロナ禍で、落語を配信することにも積極的でした。
「生でお客さんの前で落語ができない時間が何か月も続きました。その時一つの選択肢として、オンライン落語というものが出てきたんですね。最初は懐疑的でした。やっぱり落語は生の演芸で、その場で演者とお客さんが一緒になって作り上げるものなので、オンラインでは成り立たない、と。やってもいないのに、やらない鉄壁の理由を拵えていました。でも興味もあったので、一回やってみたんです。案の定、反応がないのが寂しかった。でも世界中から見てもらえたというプラスもありました。だからマイナスを解消していけば、もっと楽しくやれるなと思いました。双方向性を持たせるため、次の会からお客さんに拍手と笑い声を録音して送ってもらい、それを束ねて配信で流してみました。終演後に乾杯アフタートークをやって、お客さんからチャットで質問やコメントを寄せてもらったりもしました。そうするうちに段々楽しくなっていったんです。一回やってみることが大事だなと思いましたね」
コロナ禍で、さまざまなイベントの可能性も模索していたという志の春さん。
暗闇のなか、落語の風景を嗅覚で味わってもらう試みもしました。
「完全な暗闇の中で、視覚に頼らずチームでゲームをしたり、コースの中を移動したりする『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』というイベントに参加したんです。そうすると、視覚以外の、五感の他の部分が研ぎ澄まされてきた感覚がありました。これを落語でやるとどうなるかなと思い『落語・イン・ザ・ダーク』という会を催しました。お客さんには暗い会場の中でアイマスクをつけてもらい、音声で落語を味わってもらいました。それだけでなく、嗅覚も刺激したいと、色々試してみました。桜の香りのスプレーを撒いて、桜の噺をやろうと思ったんですが、会場中がファブリーズのような雰囲気になったので止めました。本番は、宿屋の噺でいぐさの香りを出すため、いぐさマットを丸めたものをスタッフに持って客席を回ってもらい、パフパフと押してもらいました。匂いより、風を感じたというお客さんが多かったです。『死神』という噺では、洞窟の場面でお線香を焚いて、客席にその煙を小さな扇風機で送ったりもしました」
日本香堂の『大江戸香』シリーズには「桜の花衣」や「玉松街道」といった香りがあります。いつか志の春さんの暗闇で聴く落語に登場するかも。
「最高じゃないですか!結局『落語・イン・ザ・ダーク』に関しては、コロナ禍でみんなマスクをしてたので、ほとんど香りが届かなかったんです。だからマスク無しでもう一度挑戦したいと思ってます。でも、今回やってみて風は届いた。音も通常より強弱を大きめにつけて距離感を出す必要があるという発見がありました。演者の姿は見えていないので、普段のように上下(かみしも)を切るのではなく、体を前後させてマイクとの距離を調整する方が伝わりました。もっと進化させていきたいです」
失敗を恐れない新しいチャレンジには、必ず新しい発見や収穫があるようです。そこまでやるのも、志の春さんが、新しい時代に落語を繋げていきたいという思いがあるからでしょう。
「落語って伝統芸能と言われたりするんですが、それが若い方々を敬遠させてしまう要因になっているのではないかと思います。振り返って見ると伝統芸能かもしれませんが、江戸から現代にいたるまで、その時々においては常に現在進行形の芸能だったはずなんです。変化を恐れず、少しずつ時代にフィットさせてきたからこそ、生き残ってきた。僕の好きな言葉に『変わらないために変わり続ける』というのがあります。本質は変えずに、でも変化に柔軟であり続けたいです」
これからは落語家になる道筋にも選択肢が出てくる可能性があるかもしれません。
「僕にとっては、これまで意識することのなかったことに気づかせてくれたので、徒弟制度はプラスに働いたと思っています。ただ、漫才師の育成が徒弟制度からスクール制度に変わったように、落語家の修業の形も今後変わっていく可能性があります。ネット発の落語家が出てきてもおかしくないと思います。負けたくはないですけどね」
伝承するためには、時代に合わせて新しくあること。ただ人が語り続ける限り、その奥にある「人間の業の肯定」という落語の真髄はきっと消えることはないでしょう。
志の春さんの挑戦は予測不能に続いていきそうです。
取材・文 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
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撮影 萩庭桂太
1966年東京都生まれ。
広告、雑誌のカバーを中心にポートレートを得意とする。
写真集に浜崎あゆみの『URA AYU』(ワニブックス)、北乃きい『Free』(講談社)など。
公式ホームページ
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