7月16日に、ソロ活動25周年と楽器を手にして50周年という、ダブルアニバーサリーアルバム『25/50』(トゥエンティーファイブ/フィフティー)をリリースする、チェリストの柏木広樹さん。
あたたかで深さも広さも感じる柏木さんの音色はどのように培われてきたのだろうか。今回のアルバムに込められた25年と50年の想いを語ってもらった。
ソロになって25年という柏木広樹さんだが、その前にはG-クレフというバンドで演奏していた。当時、東京藝術大学音楽学部の学生だった後藤勇一郎、落合徹也、榊原大によって結成されたインストゥルメンタル・バンドで、クラシックの曲をアレンジしたり、ロックのように過激に弾くなどの異色な存在で、1990年には紅白歌合戦にも出場した。
「今の自分があるのはG-クレフのおかげです。当時はやんちゃでしたね(笑)。クラシックの勉強をしていた仲間で、クラシックじゃない方の業界に入ってきて、ものをつくる楽しさ。ライブの楽しさを感じられた。今もライブが大好きなんですが、その価値観を作ってくれたバンドです」
その価値観のもっと深いところには、東京藝術大学音楽部の教授・堀江泰氏の指導があったようだ。
「堀江先生からはいつも僕がチェロを演奏するとき『歌え〜ッ。おまえの歌はそんなもんかーッ』と怒られていましたね。僕が大学4年生の時に急逝されてしまったんですが。その人の言葉は今でもときどき、心の中で繰り返しますね」
チェロで歌う。それをこんなふうに柏木さんは解釈する。
「メロディーを弾くというのは、そもそも歌うということです。それは、今、プロデュースをしてくれている光田健一さんにも言われています。『ライブでそんな歌いかたしないよね』というふうに。つまり、レコーディングのときには、お行儀よくきちんと弾いてしまいがちなんですね。それじゃ面白くない。全然ダメ、って。もっと歌えるよね、って。そういう人が近くにいてくれるってありがたいですよね」
堀江先生は当初、柏木さんがG-クレフに入りたいと言ったら、反対したそうだ。
「大学3年生のときでした。めちゃくちゃ怒られました。『何も弾けないのに』って。で、4年生になって『やっぱりこっちでやりたいです』と言ったら『1年間見ていたけど、多分本気だろうから、それなら一生懸命頑張れ』と言ってくださいました。先生の許可がいるのも、昔ならではの話かもしれませんけど、先生のことが大好きだった。堀江先生の言葉は愛にあふれているんです」
先生が怒鳴る、ということすら許されない今の社会を、柏木さんは憂う。
「たとえば、子どもが本当に危険な場所に入ろうとしていたら、怒鳴ってでも止めるでしょう。
『怒鳴る』ということだけを捉えてダメ、というようなのはおかしいじゃないですか。あれやったらダメ、これやったらダメと言っていたら、つまんないものしかできません。僕もあと3年で60だからね、なんか心配になってくるんですよ。若い人たちには冒険もしてほしいしね」。