柏木さんの音楽制作は多岐に及ぶ。
映画『冷静と情熱のあいだ』(主演:竹野内豊・ケリー・チャン 原作:辻仁成・江國香織)では、チェリスト役として出演。アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の主人公・碇シンジのチェロ演奏も担当した。ライフワークとして愛読書『ドリトル先生』にちなんだ曲もたくさんつくっている。
「曲はいろんなつくりかたの人がいると思いますが、僕はだいたい、ストーリーを先につくって、それは写真でも情景でよくて、そこに当てはまるメロディーを探すというのが僕の曲づくりです。だから、全然出ないと1ヶ月、2ヶ月かかることもあるし、パッと『きた!』ということもある。本当にテーマとなる4小節とか8小節のメロディーですね。それはずっと変わらないです」
そのメロディのことを、こんなふうに例えてくれた。
「小説にたとえたら『吾輩は猫である。名前はまだない』という最初の一文が一番時間がかかると思います。そこから先はストーリー展開で、何を言いたいのか、話の流れを考えていけばいいわけで。でも言いたいのは、ここ、というね」
だから、そのメロディーを求めて、旅をすることもある。
「高野山へ行ったりね。1月の寒い時期に宿坊に泊まり、夜中にトイレに行って、部屋に帰ってくるまでにまたトイレに行きたくなるくらい寒かった(笑)。僕は宗教的なことはわかりませんが、織田さんの隣が徳川さんみたいな、戦国武将の墓があるんですね。彼らは戦いに赴く前に亡骸が戻ってくることはなかろうと思っていて、そこに髪を切って遺して行ったらしい。呉越同舟というか、敵も味方も一緒にいる。その空間に立ったときに、すごいものを感じましたね。普通、そういうことを感じない人間なんだけど、これはすごいなという感じでした」
屋久島にも出かけた。
「屋久島でも曲をつくりました。パワースポットってあるんだなと。自分が考えたのではなくて、そこにあった音符が聴こえてきたという感じでした。今回のアルバムでは、真珠を養殖する愛媛県宇和島で船に乗せてもらったり、立山連峰を一望できる富山県の入善町を訪ねたりしました。
メロディーを拾ってきた。25年、そうやって這いつくばって、現役でやってきたという感じです」。
今回のダブルアニバーサリーアルバム『25/50』には、さまざまなタイプの曲が、「この人と」と思ったミュージシャンとの共演で収録されている。
「僕のアルバムは全部、いつも本当に出会いがあってつくってきたものなんです。企業などの依頼を受けてつくった曲もあるし、自分が伝えたいと思った曲もある。50年かかって、僕のチェロはこんなものかもしれないけれど。だけど、50年弾いていたから、こんなにすごい人たちと一緒に音楽をつくることができたというアルバムになったと思うんです。そこに感謝だし、続けていなかったら出会えなかった。出会えたから続けられたし。その両方に感謝ですね」
年下のチェリスト、伊藤ハルトシさんとのツィン・チェロでアレンジしたバッハは、若々しく力強い響き。またコーラスグループのザ・ハモーレ・エ・カンターレをフィーチャーした世界に一つだけの『リベルタンゴ』も圧巻だ。
「もともと『リベルタンゴ』の原曲ってロックテイストで去年のライブで光田さんが書いてくれた原曲に近い形でやったらどうだろうと思っていたんです。コロナのときにハモカンが僕を配信ライブに呼んでくれて、コーラスとチェロで『リベルタンゴ』をやったことを思い出したんですね。そっちの方が、今の僕の言いたいことに近いかなと思えてきて。世界中探してもどこにもない『リベルタンゴ』になったと思います」
尺八の藤原道山さんとの共演の『語り継ぐもの』は、江戸時代からの懐石料理を教える近左流のイメージ曲としてつくった。
「先代の奥様がよくライブに来てくださって。どういうふうに自分たちが受け継いできたかを『ひそやかに』という言葉でおっしゃるんですけど、その意味はあまり語られない。でももう、そこにメロディーがあるなと思ったんです」
ひそやかさを音色に表現できる素晴らしさ。そして、アルバムを締めくくる『2022』は、柏木さんがそのときの自分を歌っている。
「2022年につくった曲です。その前には『2011』という曲があって。多分、ほとんどの人が忘れない年になったと思いますが、その年の最後に大阪のライブで、ありがとうという気持ちで即興演奏します、と弾いた。そこで、弾き出すと違う感情になってしまって。終わって、録音を聴いて『なんでこんな曲が弾けたんだろう』と思ったんです。スタッフがいい曲だと言ってくれて」
柏木さんにとって『2011』の体験はとても大きかった。
「6月の避難所へ行って弾いたんです。夏の体育館は室温38度、湿度80% で。
老若男女いて、みんなが絶対に知っている曲の方がいいから、『赤とんぼ』とか、そういう唱歌を弾いた。寝巻きのままの人もいるし、そんななかでね、割と年配の女性が化粧して来てくれたんです。避難してきているから、そこに持ってきたなかでおそらく一番いい服を着てきてくれて。
それを見たときに、音楽会って非日常なんだなと。僕らがライブをやるときは、思いっきり笑って、思いっきり泣いてもらって、日常のなかで抑えているものを抑えることができなくなるくらいのことをしなくちゃいけないんだなと思いました。
ライブは宴会ですよ。僕はその幹事で、みんなで何がつくれるかを徹底的に考える。そこにつくった空気がその日の音楽です。『2022』も、そのときの音楽なんです」。