《2》
麻貴はマスターの言葉を耳に蓄えて、目の前に置かれた赤い飲み物をじっと見つめた。
ひと口飲むと、シナモンとアニスとオレンジの香りが相まって、程よい甘みが優しく喉を滑り落ちた。
「おいしい」
「でしょう? スペインのあちこちで飲んで、いろいろ研究したんですよ。あと、幸せの入れ方もね」
「幸せ…」
マスターはあははと明るく笑った。麻貴はひと口ずつ、味わって飲んだ。いろんな重たい思いが、少し軽くなるように思った。
飲み干しかけた頃、ドアが開いて、オリエが入ってきた。
さっきの衣装を着替え、ぴたっとしたTシャツとぶかっとしたバギーのデニムを履いていたが、メイクが濃いままだった。
オリエはカウンターの一番ドア側にいた麻貴にすぐ気づき、驚いた。
「あっ、あなた、さっき観に来てくれていた… 翔平の」
翔平の、と言われて麻貴は嬉しくなり、立ち上がって、挨拶した。
「いつも翔平くんがお世話になっています」
「あ、いや、何もしてないけどね」
オリエは鼻で笑い、座るとすぐに煙草を取り出して、申し訳なさそうに小さくお辞儀した
「吸わせてもらいますね、あ、煙は上に」
マスターはいつものことと笑いながら、「いいですか」と言いたげに麻貴にちょっと顔を向けた。
「どうぞどうぞ」
麻貴は座って、2杯目のサングリアを頼んだ。
「悪いヤツじゃないけどさ。煮え切らないとこあるでしょ」
「…」
「演奏もそうだもん」
「そうなんですか」
麻貴にはジャズのことなどまったくわからない。どんな演奏がいいのか、悪いのか、考えたこともなかった。しかも「煮えきらない」と言われて、なにか弁護しようにも言葉が思い浮かばない。
「…翔平さんのピアノ、素敵です」
やっとのことで、麻貴はそう言った。すると、もう我慢できないという顔で、オリエは煙をふっと上に吐いた。まるで見上げて吐くため息のように。
「あのさ、あいつ、今、誰かに会いに行ったよ」
「え」
「女いるんじゃない、他にさ。あるいは男かも」
「へっ」
麻貴は驚いて、背の高いスツールから落ちそうになった。