青西絵理子さんが「日本香堂」という会社に興味をもったのは「香りの仕事をしたい」と思うより前に「線香って何だろう?」という好奇心からだったそう。
「入社したからには、研究してみたい。でもその当時は『無理だね』と言われました」
熟練の技をもつ先輩がたくさんいる研究室。91年に入社した青西さんは、半年間営業を経験し、待望の研究室に入ることになった。
「原料の輸入の仕事に携わるうちに興味がわいて、その奥深さにどんどんひかれていったという感じです。そして香にまつわる歴史、伝統、文化的背景が紐付いてくると、どんどん探究心が湧いてきました。歴史という縦の時間と、世界という横の広がり。まるで香から始まる旅なんです」。
普段は公開されていない、香の原料。青西さんは恭しくそれらを解説してくれた。
「これは天然龍脳。玄宗皇帝が楊貴妃にプレゼントした香袋としても知られます」
なんとも気品のある、しかしどこかくらくらするような官能的な余韻がある。
また一方にある、真っ黒の塊には驚いた。
「こちらは龍涎香。マッコウクジラの腸にたまった結石です。マッコウクジラはイカを食べるのですが、そのイカの嘴の黒いところを腸の粘液で固めて外に出そうとしたものなんです」
また沈香は、木が傷ついたことをきっかけに樹液が固く樹脂化したものだという。
香とは、何か犠牲のようなものの結晶なのではないかと思えてくる。貴重で有難い、生き物の産物なのだ。
ひと言に「樹脂化」と言っても、一朝一夕に出来上がるものではない。木が樹脂化し、香の原料になるには、大変な年月がかかる。つまり、原料は限りある資源。
「いい沈香ができるには、非常に時間がかかります。奇跡的な産物で、人為的に傷をつけても良品にはならないのです。沈香のなかでも最高品質品を「伽羅」「伽楠香」と呼び、非常に希少価値が高いのです。たとえば私が入社した頃、伽楠香は金の値段と同じくらい、1g5000円前後と言われていました。ところが今は1g5〜6万円します」。
沈香が初めて日本にやってきたのは淡路島だったそう。
「沈香は推古3年(595年)、淡路島に漂着したと言われています。島民が火に投げ込んだところ、素晴らしい香りがするので献上したところ、聖徳太子が『これは沈水香なり』と言われたと『日本書紀』に書かれています」。
正倉院に収められている「黄熟香」は「蘭奢待」の雅名がついている。
「字のなかに『東大寺』の名前が隠されていることでも知られています。足利義政、織田信長、明治天皇が切り取られたあとには紙箋が残されています。大名家には今も銘香が残されていて、位の高い人々が魅了されてきたことがわかりますね」
希少な香は、どんな時代にも常に権力者のステイタスだったようだ。