四国の3つの卸売会社が合併したスリーキューブ。そのうちのひとつ、合併前の会社であった株式会社後藤の3きょうだいである常務取締役営業本部長の後藤幸祐さん、non-store 営業部係長の後藤千英さん、non-store 営業部長の後藤哲平さん、3人は、ユニークな発想をもっていた祖父の遺伝子を受け継ぎ、世界市場へお香をプロモートする戦略をもっています。今、自分たちが世界にどう目を向けているかを楽しく語っていただきました。
もともと、株式会社後藤のルーツともなる後藤商店は、岡山のいぐさを買い付け、四国一円へ売ることで基盤を築きました。
長男の幸祐さんは言います。
「それを継いだ祖父は末っ子でした。事業を嗣ぐはずの長男が第二次世界大戦で戦死してしまったからです。祖父は神戸商船大学を出ていたので、海外への憧れが強く、いろんなことに手を出したようです」
たとえば、おじいさまはまだ当時日本では聞いたことのないステビアの農園を作りました。また、セブ島近くにリゾートを開発するという野望もあったようです。
「本当にセブ島あたりの古い地図の青写真が残っていて、そこにGoto Islandと書いてあるんですよ。ところが火山の爆発で島は無くなってしまったそうです。(苦笑) 済州島に土地を買ったりもしたようですが、それも取られてしまったみたいで。台湾に日本の生活雑貨を販売するお店を出店しましたが閉店し、現地の人に譲ってしまいました」
おじいさまの目の付け所は斬新でしたが、どれもやや時期尚早だったのでしょうか。しかし、その台湾での縁から、幸祐さんも哲平さんも台湾の大学に留学することができました。幸祐さんはどうして台湾の大学を選んだのでしょう。
「小学生の頃から家族で台湾に旅行に行きました。市場を歩くと、きれいな日本語で声をかけてくれる人がいる。ああ、いい国だなあという印象がありました」
今、アジア人でボディタオルを使うのは日本と台湾だけなのだそうですが、なんとその文化もおじいさまのもたらした影響でした。
「もともと現地になかったボディタオルを、祖父が日本から台湾に輸出したそうなのです。何が売れるかわからないですよね。コミュニケーションからいろんな可能性が広がるのです」
最初、中国語が片言でも仲良くなれる方法を幸祐さんはこう学びました。
「先生がこれを守ったらみんなと仲良くなれるという方法を教えてもらいました。
それは一緒にご飯を食べたら、出されたものを『美味しい』と言って食べることだ、と」。
幸祐さんは、中国語を完全に習得し、そのフレンドリーな性格を生かして、おじいさまが完全には成し得なかった世界での商売を始めました。