八重山諸島の新月の日に採取した塩。イタリアから直送する白トリュフ。鍾乳洞のなかで熟成させた豆腐窯。そして小田原で何種類もの柑橘の花を夜明け前に集めたというネロリ。一粒ずつにストーリーが込められた「YES.SHE KNOWS」のショコラは、味にも香りにもこだわりのある大人たちの間で話題になっています。ショコラティエの石井秀代さんは、味わい、香るオリーブオイルソムリエの資格ももつ女性。彼女はどんな思いを込め、一粒のショコラの香りをつくっているのでしょう。
もともとはイタリア料理研究家で、日本では珍しいオリーブオイルソムリエの資格ももっている石井秀代さん。コロナ禍の前にはまたイタリアの星付きレストランで年に半分は働きながら住まおうと思っていました。
「さあイタリアへ、と思ったときに、コロナ禍になりました。それで、今までできなかったことをしようと考えたのですが、人を集めることができませんから、イベントも料理教室も無理。私は人が美味しい、と喜んでくれたり、その笑顔を見るのが幸せなのに、何もできません。そこで、思いついたのがショコラでした。私はコース料理の最後に出てくるショコラが大好き。なんとも幸せな気持ちになれるじゃないですか。そうだ、このちっちゃな世界で遊んでみようと思い立ったんです。レストランもイベントも、来てもらわないといけませんが、ミニマムなショコラならそれだけをもっていくこともできます。それも世界中に」
一粒のショコラの中身にはとことんこだわりたい。素敵なストーリーを詰め込みたい。そう思った石井さんは、日本の各地へキャンピングカーなどで出かけて行きました。
「ところが不思議なことに『何かを見つけてやろう』と気負って行っても見つからなかったんです。行ってみたいなあ、というのが先にあって、なんとなく出会ったもの、偶然出会ったものに、素晴らしい素材があったんです」
彼女の実家は長崎で、そこから沖縄・八重山諸島に飛んだとき、インスピレーションが舞い降りてきました。
「白い珊瑚の浜辺を踏みしめると、ざくざくと音がします。このざくざく、という感じをショコラに再現したいな、と。地元の人に話を聞くと、新月の日にとった塩は、もっとも良い塩味が出ると。その塩を入れて、ざくざく感のあるショコラを作ったら、ほのかに塩味のある白ワインやウィスキーに合うものができました」
沖縄ではまた別の素晴らしい食材との出会いが。
「誰もいない神社にお詣りしたんです。そこで、蓮の葉のようなものが育っている場所があり、地元の人に聞くと、田芋だと教えてもらいました。薄紫色の粘性のある里芋なんです。そのパイを売っているお店で豆腐窯をいただいたら、これが素晴らしい味で。ウォッシュチーズのような深い旨味があるんです。それで、東京に戻ってきてから、ふと、これもショコラにしたらどうだろうと。豆腐窯の味わいは、忙しい場所にいても、沖縄の琉球時間にいるような気持ちをくれるんです」
甘味、酸味、旨味、塩味、苦味という基本の五味に、とろける、痺れるといったその先にある味わいも加えて。石井さんはショコラをお酒とのペアリングで楽しめるものにまで昇華させました。
「ショコラ自体にはアルコールは入れません。甘さを引き算し、前菜、メイン、デザートというコース仕立てにもなるようなショコラにしよう。その味を知っている、という意味で『YES.SHE KNOWS』というネーミングにしました。Sには斜めの線を入れていて『YES.HE KNOWS』とも読めるようになっています」。
味だけではなく、サクサク、とろとろといった食感、見た目の美しさにもこだわったショコラ。そして今年、石井さんが挑戦するのが「香り」です。
「今年は香り、にこだわっています。まずはワイン・ラバーなら秋にはワクワクする白トリュフ。
イタリアでは、イヌや豚がハンティングに使われて、枯葉の土の中に埋まっている白トリュフを嗅ぎ出します。熱々の目玉焼きや卵で作ったパスタ、タヤリンの上に削っていただくのが定番。でも枯葉の中に埋まっているという温もりをショコラで表したいなと思い、栗を合わせました」
白トリュフの独特の芳香をまろやかな栗と蜂蜜がぎゅっと抱きしめた、ミルク・ショコラ。これはシャンパンにもワインにもぴったりです。
さらに「香り」にこだわったのが、おそらく他には類を見ない、ネロリのショコラ「ネロラ」。
「柑橘は、摘花と言って、実を育てるために余分な花を摘むんですね。4月の朝の夜明け前、4時頃に開いたばかりの花を摘むんです。8〜9時頃には花が開いて虫が来てしまうから、その前に。
低温抽出してシロップ漬けにします」
その瓶を嗅がせていただきました。目の覚めるような優しい花の香りのなかに、ほのかに柑橘の香気を感じます。
「小田原の畑のものです。日本は柑橘の種類が多いので、複数を混ぜることでふくよかな香りが出ます。その昔、中部イタリアにネロラ公国という国があり、その公妃がビターオレンジの香りを愛して、手袋やハンカチにつけていたというのが香水が広まった起源のようです。小田原の柑橘の花の香りは思った以上に強いものでした。コンフィチュールにしたものを真ん中に入れて、トップノートとミドルノートが違うものにしました」
まるで香水のようなショコラ。ワインやブランデーに合わせるのはもちろん、紅茶やコーヒーと合わせても、特別な時間になりそうです。
「YES.SHE KNOWS」のショコラは、JALのファーストクラスラウンジや、コンラッドTOKYO のラウンジなどでも扱われるようになりました。カリフォルニアのソノマのワイナリーでも、ペアリングイベントが開催され、まさに世界を旅するショコラになりつつあります。
「日本人の味覚がもっていた旨味の感覚を、世界の人がわかり始めています。だからその国、その国のお酒とのペアリングが必ず見つかると思うんです。言葉が通じなくても『街角ピアノ』のように、その国、その国の一人ひとりと分かり合えるようなことが、ショコラでできたら幸せですね」
研ぎ澄まされた感覚で、自在にショコラをつくり続ける石井さん。彼女の一粒のショコラに込める想いは、生き生きと味わいにつながっています。
photo by Yumi Saito
http://www.yumisaitophoto.com/
Text by Aya Mori