小学校にあがって、給食を食べるようになって、いろんなものを食べるようになった。
小1~2の頃の給食はひどかった。大人になってある雑誌で給食の歴史を取材したときに、昭和46年頃の大阪の給食は他の都道府県に比べて良くなかった、ということを知ってやっぱり、と思った。
噛み切れないような鯨肉の唐揚げや、具のないカレー。脱脂粉乳のような牛乳。
とにかく、香りがよくなかった。
給食を食べられない子どもがたくさんいた。
それが劇的に変わったのが、小3のときだった。
きちんとじゃがいもやたまねぎ、にんじん、肉の姿が見えるカレーに、私たちは、狂喜乱舞した。
給食当番になると、金曜日に白衣を持って帰って洗って、月曜日にもっていくことになっていた。
私が1週間着た白衣を洗濯機に入れるとき、母親が「ああ、ちょっと匂いが変わった」と言った。
香りと匂い、はどう違うのか。
匂いにはよいにおいと臭いにおいの両方が含まれているが、香りというときには「いい香り」しかない。
もうひとつ、私はこんなふうに考える。
香りは「良いにおい」そのもので、匂いは誰かの鼻が感じ取るもの。
共通するのは、目には見えない、ということである。
このエッセイは、目に見えないものを言葉にしていくということがテーマだ。
香りのように、消えていってしまったはずなのに、心に残っているもの、というような。
まるでたなびく香の煙をつかまえるような作業かもしれない。
でもたぶん、そこに何かがある。
そういう目に見えないものが、ひとりずつの、人間をつくっている。
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photo Keita Haginiwa
Hair&Make Takako Moteyama