物心ついた頃、昭和40年代前半の大阪では、まだまだ物売りがいた。
独特の抑揚とつけた呼び声で様々なものを売り歩く人たちがいた。
♫竿竹 さおだけ
竿竹屋のおっちゃんは朗々とした声で、よく響いた。
♫麦茶 はったい粉ぉ〜
はったい粉は、大麦を香ばしく炒って、粉にしたものだった。祖父はその声を聞き逃さず、祖母に買いにいかせる。
祖父はうれしそうに、炊きたてのご飯にはったい粉をスプーンにふた匙ほどかけ、ひとつまみの塩をふって、そこに冷たい麦茶を注いだ。
お茶碗のなかはみるみる茶色になる。
それをさっさと掻き込むのである。
「うまい」
私は美味しそうにそれを食べる祖父を見ていて、あるとき、おずおずと小さなお茶碗を差し出した。
「ちょっと入れて」
「食べるか。そやな、これは栄養があってええのや」
はったい粉を少しだけ入れてもらい、塩をひとつまみふり、麦茶をかけて、食べた。口のなかがねっとりするようなざらつくような、あまりよい食感とも言えなかったが、舌の上には徐々に炒った麦の香ばしさが広がった。
それから私は、少しだけはったい粉を入れたお茶漬けを食べるようになった。
他の家族ははったい粉をあまり好まないようだった。祖父と私二人だけが共有するものをもつことは、なんだかこそばいような嬉しいようなことだった。
少しだけ大人の仲間入りさせてもらったような気がしたから。