弟が生まれ、その下の弟が生まれ、従姉妹たちが生まれ、友達の弟や妹が生まれ。
大人になるまでに、いったい何人、赤ちゃんを抱っこしたことだろう。
赤ちゃんというものには、周りに言葉でないものを訴える独特のエネルギーがあって、香りがある。
あの産院に漂う乳の香りをまとっていた赤ちゃんは、離乳食を食べる頃、普通のご飯を食べる頃と、その香りを変えていく。
まとう香りが変化していくことは、明らかに食べ物の変化だ。
物心ついた私には、独特の食の傾向があった。
まずおかずとご飯を交互に食べることができなかった。まずおかずだけを食べ、その後、ご飯はお茶漬けにして食べる、というのが心地よい食べ方だった。
「この子は酒飲みになるで」
母方の祖父母の家の町工場の昼時、幾人かの大人たちとご飯を食べていると、皆面白がってそう言った。
「お茶漬けばかり食べていたら、目に星が入るで」
祖母がそう言った。私は内藤ルネの絵を思い出して、ああ、あんなふうになれるのかと思って、にやにや笑っていた。祖母たちの記憶には、戦後、栄養失調で黒目が白くなった子どもの顔があったのだろうが。
偏食というわけではなかった。なんでも食べてはみるが、好きな味ははっきりしていた。
近所に神戸屋から品物が届くパン屋があった。ビニールにはいったパンがショーウィンドウに並んでいた。
「お嬢ちゃん、何がいい? クリームパン?ジャムパンもあるよ」
おばちゃんが親切にそう言っても、首を振った。
「塩パン」
「え」
母が申し訳なさそうに「この子、ちょっと変わってますねん」と言って、「塩パン」と当時の人たちが呼んでいたフランスパン、今でいうバゲットを買ってくれた。
トーストにバターと、お砂糖をちらしたものも好きだった。
パンの香りというのは、イーストの香りなのだろうか、小麦粉の香りなのだろうか。
いずれにせよ、焼きたてのパンのその香りは食欲をそそった。
あったかいご飯にお茶をかけるのと同じくらいに。