幼稚園にいる間に、指が震えるほどショックを受けたことが一度だけあった。
それはお絵描きの時間のことだった。色画用紙を渡され、そこに好きな童話の絵を描くようにという課題だった。
私は当時の、いや、今も大多数の子どもたちが大好きなディズニーの絵本に夢中だった。特にその絵が好きだった。
何を描こうかと考えて『白雪姫と7人の小人』を選んだ。
あてがわれた画用紙は山吹色だった。大好きな色ではあったが、真ん中に白雪姫を描き、周りに3人、4人と小人たちの絵を描いたとき、はたと困った。
白雪姫は真っ暗な森のなかをさまよっていて、小人たちと出会うのだ。
森の木を何本か描いて、私は真っ暗な森を描かないと、と思った。
そして、思い切って、余白を黒いクレヨンで塗り始めた。真っ黒に塗ったわけではないが、ほぼ山吹色は意味がなくなった。黒いクレヨンがかなり減った。
そこへ、険しい顔をしたトリイ先生がやってきた。副担任の先生もやってきた。
「どうして黒く塗ったの」
先生は顔とは裏腹に、ひどくネコナデ声で聴いた。
だからいっそう、私には「これは悪いことをしたのかもしれない」と感じた。
「白雪姫は、真っ暗な森のなかで小人に出会ったから」
私は震える声で言った。
先生たちが集まって、何か眉をひそめて話している。その感じを見て私は指が震えた。何か悪いことをしてしまった。先生たちが嫌がることをしてしまった。
協議が終わると、トリイ先生は「いいの、いいのよ」と私にまたやさしく言った。
「白雪姫は嬉しそうねえ」
ほかの先生もそう言ってくれた。
やがて絵は表現として認められ、皆と同じように壁に展示された。
あの協議はたぶん「この子は精神的に闇があるんじゃないか」というような話し合いだったのだろうと、心理学など少しかじった今、大人になった私は思う。
闇はあったのだろうか。いや、今もあるのだろうか。
でも問題視されず、表現として認めてもらえたことは、何より私を救ったのだった。
子どもをセオリー通りに見ないことが、その子を救うこともあるのだと思う。
トリイ先生は以後も私を特別視したりすることはなかった。
まるでその絵のことなど忘れてしまったかのように。
幼稚園の園庭の砂場の香り、隣にあった女子大のおねえさんたちが集団でブルマー姿で走り去ったときの香り、冬に大きなカゴに集められたお弁当箱たちが、ストーブの上で温められる香り。
幼稚園時代にも、たくさんの忘れられない香りがあった。
どこか居心地の悪い、でも新しい出会いに満ちた場所だった。
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photo Keita Haginiwa
Hair&Make Takako Moteyama