オスのキンカチョウは、しばらく一匹でカゴのなかを相変わらず忙しく動き回っていた。
「オスが強すぎるのかもしれんな」
父はそう言って、カゴのなかを見た。母が嫌な顔をした。
「珍しい鳥やというてたから、小鳥屋にもっていったら、引き取ってくれるかもしれんな」
小鳥屋さんに尋ねると「引き取りますよ」と言われた。ある日、母と私はその小鳥のカゴをもって出かけた。
道の途中で、ノリカズくんのおかあさんに会った。
「きれいな小鳥。どうしたんですか」
「飛んできたんですけど。ちょっと難しくて飼いきれないので、小鳥屋さんにもっていこうと思ってるんです」
「えーっ。うちで飼ってもいいですか」
「えっ」
母は、詳しいことを説明しようとしたが、うまく説明できず口ごもっているうちに、のりかずくんのおかあさんは、どうしてもどうしても譲ってほしいときかなくなった。
それはすごい勢いだったらしい。
「ほんなら、どうぞ」
「よろしい? わー、うれしい」
キンカチョウはそうして、ノリカズくんの家にもらわれていった。ちょうどその頃、もうノリカズくん一家は、母屋で舅姑と一緒に暮らし始めていた。
母は「奥さんがあんなに無理を言わはるのは、おうちが気詰まりやなんかもしれんな」と思ったらしかった。
やがて、母屋でいざこざが起こるようになった。時々、怒鳴り声が聞こえた。
ちょうどその頃、両親は小さな庭に、ホクサンバスオールというユニットバスを設置しようと考えた。
いくら近所でも、母方の祖父母の家にいつまでも風呂をもらいに行くのはよくない。銭湯も値上がりした。ここにお風呂があったら、毎日、全員がここで入れる。でも、その箱型のユニットバスを置くには、もみの木を抜かねばならない。
母屋に相談に行くと「それはいいことです」と賛成はしてもらったものの、ぽつりと奥さんが言った。
「あのもみの木は、息子が植えたものなんです」
「それは… 申し訳ありません。やめときましょうか」
「いえ、あの、毎日お風呂に入れるのはいいことです。お風呂、置いてください」
そんな話を、私は今も憶えているのだから、とても申し訳ないことだと感じていた。何かノリカズくんに悪いことをしたな、と思った。
それから、半年ほど経った頃のことだろうか。
夏のある日、私は、母方の祖父母の家に泊まっていた。祖父母の間に眠るのは気持ちがよかった。とても安心できた。仏壇と、桐の箪笥のあるその部屋が、私は好きだった。
桐の箪笥の香りを時々くんくんとかいだ。そこには祖母のきものがたくさん入っていて、樟脳の匂いもした。
いつものようにお風呂から上がって、ヤクルトをもらって飲み、二人の間に入って眠った。
と、夜中に目が覚めた。
見るともなく、頭の上の閉まった障子のあたりを見ると、その隙間がスーと開いて、ノリカズくんがユーレイの真似をしてこっちに来た。
「あ」
叫びそうになりながら、目をこすると、すーっと消えた。
私は起き上がって正座し、しばらくぼんやりしていた。
その様子に気づいて、祖母が起きた。
「どないしたん」
「今な、ノリカズくんがな、ユーレイの真似してな、そこにおってん」
私が言うと、祖母は「いてへんいてへん。はよ寝なさい」と、布団のなかに招き入れてくれた。
障子に隙間はなかった。
なんやったんやろう、と思いながら、そのまま眠ってしまった。
朝になって、母親が私を迎えにやってきた。そして祖母に言った。
「母屋のな、奥さんと息子さんが朝はように出ていかはったみたい。沖縄に帰りはったらしい」
「リコンかいな」
「親と一緒に住みはって、きつかったんかな」
私はおそるおそる聞いた。
「ノリカズくんも… 沖縄行ったん」
母は眉をひそめて「うん」と言った。
「昨日の夜、ノリカズくんのユーレイが来たよ。ノリカズくん、来たよ」
そう言うと、祖母はハッとしたようだった。そんなアホな、とも、夢見たんやろう、とも言わなかった。
そして祖母は母に、夜中に私が起き上がっていたことを語った。
「お別れを言いに来やったんかもしれんな」
母が真顔で言った。
桐の箪笥にもたれて、私は夜中にノリカズくんのユーレイを見た障子のあたりをじっと見ていた。それはもう、いつもの障子で、そこにはもうノリカズくんは現れそうになかった。
あれから50年以上経つが、私はあのときのユーレイを思い出せる。
その後、いろんな日本の古典を読んで「生霊(いきすだま)」の話が出てきても、なんとなくすんなりと「あるある」と思えたりする。
きっとノリカズくんは、いきなり沖縄へ行かなくてはならなくなって、本当に寂しかったんだろうな、と。
キンカチョウはあれからどこへ行ったのだろう。
奥さんとノリカズくんと、一緒に出ていったとは思えない。どこかへ、逃がされたのだろうか。
いまだに母は、あのとき、あの小鳥を奥さんにあげなければよかった、と言う。
あの小鳥が夫婦の仲を裂いたのではないかというのである。
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photo Keita Haginiwa
Hair&Make Takako Moteyama