私が生まれた1964年は東京オリンピック開催の年であり、新幹線開通の年であり、オリンピック史上初のテレビ衛星中継が行われた年でもあった。
テレビというものが爆発的に庶民の生活に浸透していく、大きなきっかけになったようだ。
当時の東京オリンピックは開会式と閉会式を含む8競技がカラー中継され、競技収録をスローモーションで見せる試みも初めて行われたという。
もちろん、生まれて2ヶ月の私にはオリンピックの記憶はない。
しかし、その後、テレビ世代の申し子として、様々な番組に釘付けになっていったのは確かだ。
物心ついて初めて出会ったテレビアニメは、おそらくモノクロの『鉄腕アトム』であったように思う。
強いアトム。戦うアトム。でも人造人間に作り変えられたアトムはどこか哀しくもあった。それに女である私にはアトムは遠い存在だった。
女であること。そのことに私はわりと早く気づいていた。なぜだろう。ひょっとしたら、テレビよりも先に様々な絵本を母が読み聞かせてくれたからかもしれない。
最初の絵本は『ももたろう』だったが、すでに私は『ももたろう』にはなれないことを知っていたように思う。
戦い、勝つのは男の仕事だ。そこに立ち向かうには、私は非力だ。そう単純に認識していた気がする。
その次に見たのは『ジャングル大帝』だった。両親は手塚治虫のアニメを見せたがった。レオという白いライオンの王子の主人公のことを、どう思うかと聞かれた記憶がある。父親に厳しく育てられるレオが私はかわいそうだと思った。
手塚アニメは、物心ついたばかりの子どもには意味が深すぎたのかもしれない。それでも困難に立ち向かいながら強くなっていくヒーローやヒロインの姿は、幼い私に「人生は楽なことばかりじゃない」ことをしっかり植えつけた。
その最たるヒロインが『リボンの騎士』のサファイヤだったろう。
サファイヤは、一人っ子だ。自らが生まれたシルバー王国を守るため、男の子として育てられる。白い馬を飛ばし、剣が強く、快活で心優しい男の子に。しかし、秘密裏に料理など女の子としての教育も受けている。彼女は隣国の王子、フランツと友情を築く。そしてある夜、亜麻色の髪のカツラをかぶった姿で偶然出会った少女として、フランツと出会う。フランツは彼女に恋をする。…
まあなんというよくできたストーリーだろう。
シルバー王国は内外の様々な敵にさらされ続ける。まさに内憂外患である。そこへアニメらしく、悪魔までが現れる。悪魔には天使の心をもった娘がいる。またそこで悲喜劇が起こる。
このアニメは、延々と、何年も続き、幾度となく再放送された。おかげで、難しい相関関係もすっきりと子ども心におさまった。
私はサファイヤに感情移入し、サファイヤのようになろうと思った。
大人になり、男女雇用機会均等法実施世代となり、バブル時代を経て、男のように働きながら女であろうとした私たちの世代は、サファイヤの影響を受けているのではないか、といまだに思うことがある。