小学校に上がる前から、私は本棚の一番上にある「日本文学全集」という赤い本の一群に興味をもっていた。
なんというか、そのこっくりとした深い赤がなんとも言えない良い色合いで、
一冊ずつ箱に入っている「函入り上製本」なのだ。さらに箱から出すと、ビニールのカバーがついていた。
その全集は、なんとなく、父の一番の宝物のような気がした。
父はまずそのなかから、私に「芥川龍之介集」と「夏目漱石集」を読むようにと言ってくれた。
「芥川龍之介の『蜘蛛の糸』から読んだらええ。わかりやすいし、人間の姿をよう表してある」
芥川龍之介と夏目漱石が基本なのだというようなことを言っていた。しかし、自分は太宰治が好きで「新しい背広をつくった。冬まで生きていようと思った」とか「子どもより親が大事」とか、ひとりごちていることがあった。
「太宰は中学に入ってから。三島由紀夫は『潮騒』から読むとええな。それよりも横光利一がいいかもしれん。谷崎は大学に入ってから」
父は私がどの小説にいつ触れればいいか、段取りを考えているようだった。
そう言われると先に三島なら『仮面の告白』を読みたくなるし、谷崎を読みたくなるものだ。
ちょうど、山口百恵が次々とそういう文学作品の映画に出演していたので、その流れで谷崎の『春琴抄』も読んだが、確かにいまひとつ意味がわからなかった。
理不尽な小言を言い、感情に任せて怒鳴る父親と、本の話をするときだけ、私はこの人はそんなに悪い人ではないのかもしれないと思った。
そして、そういう話をする時間だけが、お互いに意思を純粋に共有できていると思えた。
だから私は、こんなふうに30年、ものを書いて生きているのかもしれない。
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photo Keita Haginiwa
Hair&Make Takako Moteyama