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  • その10「本の背中を見て育て」

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⚫︎食後のお楽しみの本屋

 満腹になった一家は本屋へ行くのが習わしだった。
 深田書店という本屋は、商店街では一番大きかった。
 店頭には大人の週刊誌群と、「マミィ」「よいこ」から小学一年生〜六年生までの雑誌コーナー。ぐるぐる回る絵本のワゴンもあった。店に入ると、正面に女性雑誌のコーナーがあり、壁面を取り囲むのはベストセラーや、幼児書、児童書の類。今よりも格段に子どもが多かった昭和40年代は、児童書というものがあふれんばかりにあったという記憶がある。

 週に1冊ずつ、買ってもらえた。父は本屋にいるとき、一番いい顔をしていた。少なくとも、本の話をするときの父が、私にとっては一番いい父だった。

「本はいくら買ってもいい。金に糸目はつけん。その代わり、読み切ってから次を買え」

 私は気づいたら本を読むのが大好きな子どもで、しかもなぜだか早くに字を読むことができた。
 わからない漢字も、何度か見ていると、前後のストーリーから想像がつくというくせがついた。
 どんどん読み、1週間で1冊はもちろん、2度3度と読んでいた。

 1冊の本には、そこに閉じ込めようとしてもあふれんばかりの知らない世界が詰まっている。
 それを読み、想像する面白さ。
 想像の世界に入ってしまうと、私はどこにでも行けた。  本屋の香りをかぐと、おなかの奥がもよっとした。
 弟はいつも、本屋へ行くと「うんこしたい」と言っていた。
 そういう人は多いと、大人になって知った。あれはインクの匂いになにか排便を誘発するものがあるのだと言っていた人がいたが、本当にそうなんだろうか。
 本を読む興奮とつながっているのではないだろうか。

●森葵、のはずだった

 本好きの父は「全集」が大好きであった。
 世界文学全集。日本文学全集。都道府県全集。そのほかにもいろいろあった。狭い家の壁は本が埋め尽くし、紙とインクの匂いとともにあった。
 昭和9年生まれ、戦前戦中戦後を生き抜き、ものに不自由した時代の父にとって「全集」という存在の与えてくれる絶対感、万能感は圧倒的な幸せだったのではないかと思う。
 そんな父はある日「子どもにも全集が必要だ」と言い出した。
 母はわかったようなわからないような顔をしていた。
 当時は時代的にも全集流行りであった。すぐに本屋さんがやってきて「こども世界文学全集」を勧めた。
 これは分厚くて、また場所をとる全集だった。しかし今思っても素晴らしい挿絵と内容だった。
 1巻ずつ、挿絵の画家は違う人だった。
 「長くつ下のピッピ」や「くるみ割り人形」「えんどう豆の上に寝たお姫さま」「幸せな王子」などに、私は夢中になった。
 全部を読むわけではなく、ひとつにはまるとそればかり覚えるほど読む、という読み方をしていた。
 その全集が終わると、今度は「古典だ」と父は言った。
 また本屋さんが嬉しそうにやってきて「それやったらこれがよろしいんとちゃいますか」と、また図録のようにいろんな写真が挿入されている「日本古典全集」を勧めた。
 この本がまたえらく場所をとった。
 母は「ほんまにいるんかいな」という顔をしていた。
 が、初回の「源氏物語」がやってきたときに、ペラペラとめくりながら苦笑いして言った。

「あんたが生まれるときに、パパは『源氏物語』から名前をとるって、言うてたんやで」

「綾、って出てくるのん」

「いや、葵、やってん」

「え」

「ところが役所へ届けにいったら、人名漢字にありません、って言われてな」

「ほんで綾になったん?」

「それから、茜っていうのをまたどっかから探してきて。届けにいったらまたないです、って言われてな。結局、豊崎のおばあちゃん(父方の祖母)が、綾、がええのとちゃうかって」

「おばあちゃんが」

 私にはそれも意外な話だった。
 祖母はいったいどこで「綾」という字を見つけたのか。何か思い出なりなんなり、あったのだろうか。
 それにしても、その由縁で「葵」にならなくてよかった。
 父は「葵は光源氏の正妻だから」と思っていたそうだが、彼女は六条御息所に呪われ死ぬではないか。
 かといって紫の上にちなんで「紫」という名前をつけられていたら、どんな人生になっていたのだろう、とふと思う。

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