気管支炎が長引き、小学校も長期欠席した。やることのない私はひたすら本を読んだ。文学好きの祖母の妹… 私にとっては大叔母が、偉人伝を勧めてくれた。
「偉い人の話を読むとええわ。ヘレン・ケラーがいい。見えへん、聞こえへん、しゃべられへんという三重苦を乗り越えた人やからな」
母が買ってきてくれた『ヘレン・ケラー』は、偕成社の世界偉人伝シリーズで、高学年向けだった。村岡花子さんが書かれたものだ。
漢字が多かったが、読んでいるうちに何て書いてあるのか想像できるようになった。とにかく文章を覚えるくらいに、のめりこんだ。
とりわけ、ヘレンが言葉というものの存在を「water」から知るシーンは、胸が高鳴った。自分の手のひらに、目をつぶって指で字を書いてみたりもした。そこにあること、もの、と、言葉が一致することの喜び。
私はヘレンとともにそれを知ったのだろう。
長期で休む私を心配して、担任の谷宏先生が、家に来てくれた。
「そうですか。ヘレン・ケラーを。それはいい本を教えてもらいましたね」
谷先生はなんども頷き、言った。
「森さん、早く元気になって学校へ来てください」
私は照れくさくて「うん」と頷いた。母が「はい、でしょ」とたしなめた。
やがて元気になって学校へ行ったとき、谷先生は作文の時間に読書感想文を書かせた。もちろん私は『ヘレン・ケラー』について書いた。
先生はそれをコンクールに出したようで、なにか賞をとったようだった。しかし「特定の生徒を特別扱いはしてはいけない」というような時代で、なんの賞だったのかは教えてもらえなかった。
6年生と、私の感想文がガリ版刷りにして配られた。生徒の名前は伏せてあった。
自分の文章なのに、名前がないのは歯がゆいかんじだった。
甘栗を食べた手でも触ったらしい『ヘレン・ケラー』は、ちょっと茶色いページがあり、背のところがぼろぼろになっていた。
私はたぶん今も、もしその本を手にとったなら、どこに何が書いてあるかわかるだろう。
そしておそらく、あのヘレンが手を打つ水の感触に言葉を知った井戸のシーンを、まずもう一度読むと思う。
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photo Keita Haginiwa
Hair&Make Takako Moteyama