「胸悪いかもしれんから、赤ちゃんにうつったら大変やから」
そんな大人たちの話に、私はうっすら傷ついていた。胸が悪い、というのは、結核のことだ。まだ結核だと断定されたわけではないけれど、疑いがある、ということだった。なんにせよ、疑われる、という感じが嫌だった。まだはっきりそう言われたほうがいいかもしれない、と幼い私は思った。
そういう私に、祖父母は、特に祖父はとても優しかった。
「おじいちゃんとおばあちゃんの間で寝たら、治ってしまうんや」
祖父はにこにこしてそう言った。私は嬉しかった。そして、その言葉を信じることにした。
仏壇のある8畳の部屋に、祖父母は布団を並べて寝ていた。
「背中さすってくれ」
祖父は祖母に言った。二人は背中をさすりあって眠るのが常のようだった。そして「あーちゃんもな」と、私の背中もさすってくれた。
布団と布団の溝に落ちないようにと、しっかりくっつけて、私はその真ん中で寝た。体勢としては寝やすくはなかっただろうが、安心してぐっすり眠れた。
その頃、千林商店街の入り口、京阪電鉄・千林駅のそばに、天津甘栗の露天商がいた。大きな銀色の釜のなかに黒い小さな石がたくさん入っていて、そこに栗を入れて回すのである。
栗の皮が焼けて、甘い香りが漂う。寒くなるとその香りがなんとも鼻腔にあたたかい。口のなかに、甘やかな味が思い起こされてくる。
母方の祖父母の家は、みな甘栗が好きだったように思う。私も類にもれなかった。
「栗買うたろか」
「うん!」
祖父母は小さい栗の袋を買って、私にもたせてくれた。分厚い紙袋はまだあたたかく、焼きたての栗の香りがした。
しかし、焼きたての栗は意外にむきづらく、うまくしないと渋皮と実がくっついてしまう。
真ん中に爪で横に切れ目を入れ、親指と人差し指で横に押してカリッとむくことができるのは、大人のしるしだった。
誰かがむいてくれるのを、待たなくてはならない。甘栗は誰かが誰かにむいてあげるものだと私は思った。
だから、美味しいのだ。
ずっと大人になって、むいた状態でパックされて売っているものには、あのときの美味しさがない。
「むいちゃった甘栗」は便利だけれど、ひとつずつむく甘栗とは何か別のもののような気がしてしまう。