日本のお正月にある香りは、どれも華やかではない。
しかしそのどれもが、長い間、人に当たり前のように愛されてきた香りだ。
たとえば、松の香り。
門松だけでなく、母は必ず松と千両と他に何か赤や黄色の花を飾っていたと思う。昭和40年代、花の種類がさほど多くなかった頃は、それは菊であることが多かった。
松の種類も黒松しかなかった時代があり、その後しばらくして、大王松がやってきた。
大王松は葉の部分が長く、ぱあっと末広がりに孔雀の羽のように開く。初めてその松を見たとき、なんて綺麗なんだろうと思った。
母はそこに赤いチューリップを合わせた。その組み合わせが脳裏に焼き付いていて、私は今も時々やってみる。
暖房の効いた部屋で、チューリップは開いていき、日光を求めてその茎をくねらせる。その様がどこかなよなよと女性的で、見とれてしまう。
しかし、大王松にはあまり香りはない。やはり香りで選ぶなら、普通の黒松のほうがいいのかもしれない。
松の香りはほのかだけれど強くて、すべてを底支えしてくれているような安定感がある。どんな花のことも受け止めて、最後まで枯れない。
15日を過ぎて、もう正月ではないからと、まだ青々としている松を捨てるのはいつも忍びない。
ずっと置いておけば、いつまで青々しているのだろうかと、ふと思う。
時節を味わうこんな贅沢も、SDGsなどと掲げられる世の中には、あまり合わないのかもしれない。
だがどう考えても、松の香りは正月だけにふさわしい。