大晦日は、父がおせちを作るのが、我が家の習わしだった。
ごまめ、数の子、焼いた海老、大量のお煮しめ。黒い塗りの3段重に詰め切れないほどのものが入っていて、大きな重たいガラスのボールにそれぞれお煮しめとごまめがまだたくさんあった。
父は丹念に鉄のフライパンでいりこを炒った。
「ポキンと折れるまで炒らなあかんのや」
そう言って、時々、一匹つまんでは、口に入れた。子どもの私は父が料理する様子をいつも隣で背伸びして見ていた。
いりこがあったまって、魚の焼ける香ばしい匂いになっていく。
お煮しめのこんにゃくは、長方形に切って、真ん中に切れ目を入れてくりんと片方をひっくり返すと、両端がねじれた形になる。それが不思議で、目を輝かせると「やってみい」と小さい包丁を渡された。
真ん中に切り込みを入れ、ひっくり返す。両端がねじれたときの感動は忘れられない。
やがてそれは、にんじん、ごぼう、大根、蓮根、たけのことともにだしと醤油とみりんでことことと鍋に入る。
それを3が日、それが野菜源になった。
元旦の朝、寒い部屋にかつおと昆布のおだしの香りが漂ってくる。
我が家は大阪であっても、父の好みで澄ましだしのお雑煮だった。
焼いた丸餅、かまぼこ、三つ葉。鶏肉は母が嫌がるので入っていなかった。
ひとりひとり、名前の描かれた祝い箸でお雑煮を食べる。
お屠蘇も少し舐めた。漢方薬の匂いがした。
「うげ。薬みたい」
私が顔をしかめると、父は嬉しそうに言った。
「薬やから、飲むんや」。