参加者のなかに、ひとり、いわゆる「見える」女性がいた。まだ30歳くらいの人だった。霊能者という言葉は何か怪しい印象があるが、その人は明るく朗らかに「見える」ものを語った。
第三十一番竹林寺に行く前の夜、私はその女性に呼び止められた。
「明日、竹林寺にあなたのひいおじいさんがご一緒に参られます」
「ひいおじいさん…。母方のですか、父方のですか」
「お父さんの方の。賢い、徳のある方ですよ」
私はその人に会ったことはなかった。なんと言っても父方の曽祖父は37、8歳の時、移住した韓国で亡くなっている。もともとは薬を持って旅をしながらあちこちへいく中国人の漢方医だったという。そんなことを端的に伝えても、見えるおねえさんは顔色ひとつ変えず、ニコニコと言った。
「そうですか。これでね、一つ上のところへ行かれます」
「日本語、通じないかもです」
おねえさんはからから笑った。
私は混乱した。「一緒に参る」と言われても、どうしたらいいのか。
「あの、私はどうしたらいいんですか。だいたい、顔もわからないし」
すると、見えるおねえさんはニコニコしたまま言った。
「わかります。きっとわかりますから、般若心経を一緒に唱えてください」
その夜、私はお賽銭箱の前に立つ、青い服を着た男の人の夢を見た。
竹林寺は、懐かしい気持ちのする寺だった。心の中で「どうぞご一緒に」と、
私は昨日の夢に現れたひいおじいさんに語りかけた。なんとも言えない、優しい気持ちが溢れてきた。見えないその人と、確かに一緒にいる気がした。
竹林寺には、横に臥せったお大師様の像があり、その下に自分のもってきた枕を入れ、一つもらって帰るということだった。
私は母が作ってくれた枕を入れ、代わりに小さな桜色の着物の裏地で作られた枕をもらった。
ここにいる誰かが作ったものだな、と思っていたら、少し猫背の控えめなおばあさんが
「あ」と小さく私の手にした枕を見て微笑んだ。
この人が作ったのだな、とわかり「おばさんの」と聞くと、その人は嬉しそうに頷いた。
そのおばさんも、何か懐かしいような顔をした人だった。
団体行動をしていると、だんだんその人の地が出てくるものだ。
わがままで声の大きいおばあちゃんがいた。
ある夜もビールが入って、わあわあしゃべっていたおばあちゃんは、とつぜん、先達さんを「おい、先達」と呼び捨てにした。
その周囲の人は無言になった。
先達さんは「はいはい」とにこやかに応じていたが、カヨちゃんのおばあちゃんは「あの人、えらい目にあうわ」と、静かに言った。
翌日、本当にそのおばあちゃんは足が痛くて立てなくなった。
そして、イヌに噛まれたかのように大人しくなった。
不思議なことだらけの旅は、終わりに近づいていた。最後の夜は皿鉢料理が出た。
大きな皿に、美味しいお刺身がたくさん載っていた。なんと言っても、鰹である。
でもまだお酒の飲めなかった私は、ご飯が欲しいなあと思った覚えがある。
とにかく、宴会よりも、早く家に帰りたいと思った。
「同行二人」と書かれた杖は、今も私のそばにある。
一人であっても、お大師様は一緒に歩いているという意味だそうだ。昔、遍路の途中で行き倒れて亡くなった人は、この杖がお墓にもなったそうだ。
いつの日か、これをもって、また四国八十八ヶ所へ行きたい。
もちろん、スマホのスィッチはオフである。
そのとき私は、誰に会えるのだろうか。
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photo Keita Haginiwa
Hair&Make Takako Moteyama