野営で最も胸が高鳴ったのは、キャンプファイヤーだった。
不思議なことが幾つかあった。
その1。「燃えろよ燃えろ」という歌をみんなで歌うと、何故か本当に炎がよく舞い上がる。
その2。最初に山の神様を呼ぶ儀式で、とりあえず誰かが「山の神様」を演じているのだけれど、火の前で見るとなんだか本当に神々しく見えてくる。
その3。四角く組まれた木が、終わる頃には綺麗に富士山の形になる。
そういったことが、本当に自然な流れのなかで、1時間半から2時間ほどの間に一つの舞台のようになっていく。
みんなの顔が火に照らされると、いつもとは違う表情になる。
私たちはグループに分かれて、スタンツをした。踊ったり歌ったり、寸劇をしたり。
火の前の土の上が舞台になる。火という照明は、ひとりひとりの表情を赤く伝える。
ひょっとしたら、演劇の最初も、こんなふうに催されていたのでかろうか。
赤く照らされた表情は、人間本来の素直な昂揚を引き出すのではないだろうか。
中身のない寸劇も、ちょっとした踊りも、特別になった。
私はキャンプファイヤーには、本当に山の神様が降りてくるのだと思った。
そして火が消える頃、そこにいる人たち全員が、素の心になっている気がした。
始まる前より仲良く、いやもっと昔から知っている人のようになれた。
キャンプファイヤーが終わり、無駄な照明のない草の中の道を宿舎へ帰っていく。夏でも肌寒くなる空気の中を、土の道を踏みしめて。
夜風の香りは、消えた火と空へとたなびく煙、草にまとわる夜露を孕んでいた。
山の神様は山へ帰られたのだろうか、と、ふと思ったりした。
またいつ会えるのだろうか、とも思ったりした。
ガールスカウトの最後の思い出は、小学6年生の時の野営である。
その時の場所は、丹波篠山であった。
板の間の敷かれた大きなテントに泊まった。
同じ小学校の6年生が4人いた。私たちは、翌日から小学校の臨海学校へ行くことになっており、1泊だけで山を降りることになっていた。
15時半ごろの国鉄に乗ることになっていた。駅までは山をひたすら徒歩で降りなくてはならない。それも30分は歩く。
朝から大雨になり、ちょうどテントを出ようという時間には、雷が鳴り始めた。
それも半端ではない。ピカッと光るや否や、ドドーンと落ち、テントが揺れた。
「今、降りるんですか」
「だって間に合わないから。早めに出ましょう」
リーダーは、キタジさんのお母さんだった気がする。その4人の中の母親ではなかった。
明るくて行動力があり、頭のいい人だった。
私は、キタジリーダーだから大丈夫だ、と思った。
全員、傘はささず、リュックをかけた上から大きな黄色いポンチョを被り、連れ立って山を降りた。
足元はぬかるみ、履いていた靴はもうなかまでひたひたに水が入っている。
それでもザク、ザク、と、ただただ足元を見ながら、ゆっくり、転ばないようにと歩いた。雨はポンチョの中にまで入ってきた。前髪はおろか、服までびしょ濡れだ。
途中、雷は落ち続けていた。大きなのが落ちると、山が地震のように揺れた。
どれくらい歩いたのか、本当のところわからない。
でも私たちは、無事に駅までついた。
くたびれていた。
電車に乗ると、ロマンスシートでもない、横並びの席なのに、すぐ眠くなった。冷房がきいていて、少し寒いなと感じた。濡れているのだから、当たり前だった。
キタジリーダーは、どこから探してきたのか、眠ってしまった私たちに新聞紙をかけてくれた。
「新聞紙って、意外とあったかいのよ」
ほんとだ、と思った。その時のあったかさを、思い出せる。意外とあったかいな、と思いながら、くうくうと大阪駅まで寝てしまった。
おかげで風邪も引かず、4人全員が翌日からの臨海学校に参加した。
引率してくれたリーダーの機転は、そのまま一生持っていけそうな知恵になった。
生きていく中で、そんなちょっとした機転で乗り越えられることは、意外とたくさんあるのかもしれない。
例えば、心が風邪をひきそうだとしても。
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photo Keita Haginiwa
Hair&Make Takako Moteyama