夏休みには、兵庫県の垂水にある中堂先生の叔母さんの家へ遊びに連れて行ってもらったりもした。
弟と私、そして、中堂先生が勤務する小学校にいた、有名な食品卸会社の社長の息子、S君も来ていた。ちっともじっとしていられない子で、現地まで養育係がついてきた。養育係は今でいえばジャニーズ系の20代のイケメンの男性だった。
養育係はものすごい重たそうな発泡スチロールの箱を「皆さんで」と持ってきた。
中身は、その会社で扱っている松坂牛のステーキだった。
「ありがとう。ほなね」
中堂先生は愛想なくステーキの箱だけもらった。一緒に居たがる養育係を帰すと「あの男が甘やかすから、余計あかんねん、この子は」と言っていた。
岩だらけの海岸で遊び、蛸壺を見せてもらったりした。夜はそのステーキをおばちゃんが焼いてくれたが、コロコロに切ってカタカタに焼いてしまい、あまり美味しくなかった。S君は何もできないのに舌だけ肥えていて「焼きすぎだよ」と言った。中堂先生は「うるさいっ。おばちゃんがせっかく焼いてくれはったんやから、黙って食べなさい」と言った。
私たちはみんなで親戚のように遊んだ。
秋になり、正月を越え、いよいよ受験前になった。
「ええか、わかったところから書いてくんやで。ほんで最後にもう一回、見直す」
中堂先生はそんなアドバイスをくれて、最後に言った。
「な、おかあちゃんが通ってた学校やから、大丈夫や。おとさはらへん。ほんで、よう頑張った。絶対できる」
私はアドバイス通り、試験に臨んだ。そして合格した。
母と2人で中堂先生に挨拶に行った。
「よかったな」
先生は満面の笑みで喜んでくれた。
「面接の時、おかあさんのことを教えた先生が出てきはって、ニコニコしてはったから、大丈夫やと思いました」
私はそう言ってから、そうか、中堂先生もおかあさんを教えてくれた先生やったな、と思い出した。
中堂先生も、やっぱりニコニコしていた。
何ヶ月か経った、ある日の夕暮れのことだった。
聖母女学院の制服での帰り道、中堂先生が前から歩いてこられた。
「おお。ピカピカの1年生やな」
先生は立ち止まって、私をまじまじ見た。
「…」
私はなんて言ったらいいか分からず、まだ慣れない制服姿が照れ臭くもあり、立ち止まったもののお辞儀だけして、なんだかそそくさと歩いてその場を去ってしまった。
何十メートルか歩いて、しまった、先生は何かもっと話したかったんじゃないかな、と思った。
振り向くと、ちょっと楽しげに胸を張って、のっしのっしと歩いていく先生の後ろ姿が見えた。
その背中に、気高いような孤独があった。
もうそこから離れていく自分は薄情だ。あんなに教えてもらったのに。
でももう、その先の世界にいて、あそこには戻りたくない自分もいた。
先生って何て、寂しいんだろう。
私はなんだか泣きそうになって「やっぱり、教職はやめとこう」と、思うのだった。
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photo Keita Haginiwa
Hair&Make Takako Moteyama