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その19「Every time we say goodbye」
    1. エッセイ
  • その19「Every time we say goodbye」

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●野菜も果物も食べない祖父

 母方の祖父が体調を崩したのは、まず私が小6だった頃だと思う。
 お腹が苦しい。どうもお通じが難しい。だんだんそれがひどくなって、医者が往診にやってきた。
 おそらく病院嫌いだった祖父は、自分からはなかなか出向かなかった。

「でえへん。なんか詰まってるようなんや」

「おかしいな」

 その苦しみように、医者は病院でレントゲンを撮ることを勧めた。
 結果、大腸がんだった。

 祖母と母は「おじいちゃんは脂っこいもんばっかり食べて、野菜も果物も食べへんから」と、嘆いた。
 祖父の食べ物はひどく限られていた。
 牛肉や牛のまめ(腎臓)が好物だった。晩御飯は野菜をのけて食べていた。お酒はそんなに強くなかったが、晩酌に日本盛の特級を好んだ。小さい湯呑みに一杯ほど。
 いわゆる珍味、という感じのものが好きだったのかもしれない。石切神社に行くと、スズメの焼き鳥を買ってきて、1人でガシガシやっていた。
 これが子どもの目にはかなりグロテスクだった。頭、くちばしと、スズメの形が割と原型なのである。弟と私がじっと見ていると「チュチュチューン」と言って突然串をこちらに向けたりした。ほとんど身がないようだったので「おじいちゃん、それ、どこを食べるの」と聞くと「しがむんや」と笑った。
 祖母は祖父が野菜を食べないことを心配して、野菜ジュースを作る器具を購入した。
 これが野菜を入れるとゴーゴーと大音響で、たくさん野菜を使っても少ししかジュースが取れない。しかも肝心の祖父はそれも口にしなかったようだった。
 祖父の対極で、祖母は健康オタクなところがあった。野菜ジュース器に前後して、水道水をアルカリ性と酸性に分ける器具も導入していた。
「みんなが元気に働けるように」
 それが祖母の大義名分であったが、今思えば、何もかも祖父のためだったように思う。
 しかし、祖父は入院し、手術を受けることになった。
 病院嫌い、しかもお腹にメスを入れるとあって、祖父は相当精神的にまいったようだった。
 がんであることは知らされなかった。
 当時は、がん患者に告知をすることがほとんどなかったのではないだろうか。
 祖父は、手術をして帰ってきた。
 そして、それでも食生活を変えることはなかった。

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