子どもの頃育った千林商店街の近く、大阪市旭区清水というところに、八幡神社があった。
「焼けずの宮」と呼ばれていて、無病息災で人気があった。室町時代からそこにあったらしいが、戦災にも遭わず、火事になったこともなかったのだという。
夜、なかなか寝ない私をおぶって、母親が訪ねたのもこの神社だった。第1回のこの連載に書いた、格子戸の神殿の奥に黄緑色の雪洞がある、あの神社である。
この神社のお祭りは、7月14,15日が夏祭り、9月14,15日が秋祭りと決まっていた。
どちらのお祭りも、鳥居の脇に横に長い舞台になった櫓のようなものが組まれ、そこでコンチキ、コンチキという鐘と太鼓のお囃子が演奏されて、おじいさんが延々と踊っていた。
ちょうどその祭りと祭りの間に天満宮の天神祭があり、たくさんの船渡御が出る大阪一の賑わいとなるのであるが、地元は地元で、祭りはそれなりに盛り上がっていた。
縁日の露天は神社の中から外からぐるりと並び、浴衣を着た子どもと女性たちで溢れた。
りんご飴や綿菓子の、砂糖の煮える甘い香り。
とうもろこしを焼く醤油の香り。
焼きそばやお好み焼きを焼くソースの香り。
東京コロッケという一口大のコロッケを揚げる、油の香り。
暑気のなかで全てが香ばしく、人々の顔は華やいでいた。
しかし、小学2年生の時、商店街の呉服屋の孫だった同級生の女子が、縁日で食べたとうもろこしが原因で腸炎になって入院した。
本当にそれが原因だかどうか、今となっては怪しいが、おかげで「縁日では買い食いをしてはいけない」というお達しが出た。
うちの家もそれに従った。友達と縁日に行くことは許されたが、買い食いはしてはいけないという。
一緒に出かけたのは一つ年上ののりこちゃんだった。のりこちゃんは一番好きだという東京コロッケの赤い暖簾の下へ、私を誘った。
そこにはまず、数台のパチンコ台があった。そこで、玉を入れたポケットに書いてある数字の数だけ、2センチほどの大きさのコロッケを串にさしていいという仕組みだった。
「めっちゃ美味しいで。あやちゃんもやりいや」
「…あかんねん」
「なんで」
「お腹痛くなるから」
私の声が聞こえてしまったようで、パチンコ台の傍から露店のおばちゃんが顔を出し「お腹なんか痛くならへんよ」と怒ったように言った。私は顎を引いてのりこちゃんの後ろに隠れた。
のりちゃんは、小さなコロッケを7個ほど串に突き刺し、ソースをかけてもらって美味しそうに食べていた。
「何が入ってんのん」
「なんも入ってへんよ」
じゃがいもを潰しただけのコロッケだった。しかも油はあまり変えていないようで、衣の色が濃かった。
それでものりこちゃんは美味しそうに食べた。
「アホやわ、こんな美味しいもんないのに。お祭りで一番美味しいのに」
のりこちゃんは気を遣ってか、さっきのおばちゃんに聞こえるように、大きな声で言った。