香水、というものを意識したのはいつだったろう。
高校生になると、校則が厳しい女子校にいながら、母親の使う香水をちょっと手に取って見るようになった。
その頃、母親が使っていたのはシャネルの19番だったと思う。
それを訳もわからず振りかけて学校へいくと、現代国語を教えていた担任の上田みゆき先生は、くすくす笑いながら私の周りをぐるぐる、ぐるぐると警察犬のように回った。
明らかにつけすぎだったのだろうと思う。
私はバレた、と、何か悪いことをした気になった。
しかしそのうち、資生堂が「シャワーコロン」というのを売り出してくれた。
これはオーデコロンよりももっと軽い感じの香りで、バシャバシャと使ってもそんなに残ることがなかった。フレッシュグリーン、という青っぽい香りで、制服にも馴染んでいたと思う。おそらく、シャンプーの匂いです、と言ってもわからないくらいな軽さがあった。汗かきの世代にも違和感がないように考えられた香りだったのかもしれない。
シャワーコロンはテレビCMもたくさん流れていて、親にねだっても叱られない程度の値段だった。これなら、と親も買ってくれた。
その後、初めて自分で買ったオーデコロンがあった。
まだ私は高校生だったか、大学生になったばかりだったか。
ただその日のことは、はっきりと憶えている。
千林商店街の真ん中に、資生堂の販売店があった。そんなに大きな店ではなくて、右と左に通路のようにスペースがあって、所狭しと商品が並んでいた。左の奥に、香水の並ぶ棚があった。
サンプルの瓶が並んでいた。いつもシャワーコロンを買っていた私が、その棚の上のいくつかを手に取った。
「むらさき」というのがちょっと値段が高かった気がする。香りも大人っぽくて、近寄り難い感じがした。そのほか、何種類かあって「琴」という香りに妙に惹かれた。
今調べると、「琴」は1967年に発売されており、すずらんとクチナシがメインのすっきりしたシプレーフローラルノート。トップはややスパイシーで、時間が経つほどパウダリーで柔らかい甘さが出る、とある。
なぜその香りに惹かれたのかはよくわからない。私はその店に2度通って、2000円ほどしたそのオーデコロンをお小遣いで買った。
母はそれを見て「なんや、おばちゃんくさいな」と言った。瓶にも「琴」と漢字で書いてあった。
自分では「琴」の香りは、どこか和風で奥ゆかしいと感じていた。すずらんやクチナシというイメージはなく、菊の香りのようだと思っていた。
私はフランソワーズ・モレシャンさんのエッセイに書いてあった通り、スカートの裾や、膝の内側にそれを振りかけた。
何にも変わらないのに、少しだけ、大人になったような気がした。
マリリン・モンローは「シャネルの5番を着て寝るの」と言ったというエピソードを読み、いつか、香水だけを着ようと思った。