父のすぐ下の弟は、高校時代からテナーサックスを吹いていた。関西大学時代も軽音楽部にいて、あちこちのキャバレーの楽団で吹き始めたという。
NHKの朝ドラ『come come everybody』のジョーが如く、今の世の中なら多少かっこよく映るが、当時は夜に働くと言うことに偏見のある人も多かったし、父方の祖父は公務員になっていたほどだから厳格で、それを嫌がった。
それでも叔父は吹き続けた。結局、音楽に夢中でフランス文学科など卒業できなかった。就職は9時から5時の呉服問屋にした。夜の音楽活動を続けるためだった。
やはり夜働いていたK子さんと結婚した。大原麗子に似た、華奢な美人だった。真っ赤な口紅が似合って、夏は細い糸でできたような金のサンダルを履いていた。
子どもはいなかった。後から聞いた話だが、K子さんは子育てする自信がなく、誰にも言わず堕胎してしまった。それに腹を立てた叔父は離婚してしまった。
叔父は子ども好きだったのだ。あるとき、弟二人と私に「カニ食いにいくか」と言った。
私はカニが大好きなので二つ返事だった。弟たちも嬉しそうだった。
喜んだ叔父はとっておきのプランを立てた。まず通天閣に登ろうと言うのだ。
ところが、通天閣に着くと長蛇の列だ。
「えらい人やなあ。やめとこか」
私が言うと、もうてっぺんに登ったつもりでいる叔父は面白くない顔をした。
「すぐ登れるやろ」
ところが、スタッフは予約のある団体さんをどんどん先に誘導し、一般客の列は一向に動かない。
叔父の怒りは炸裂し、スタッフに怒鳴りつけた。
「こら、わしらずっと並んどるやろ!」
私は叔父と弟たちの手を引いた。
「行こう。もう行こう」
面白くない上にバツの悪さも加わって、叔父はスタスタ歩き始めた。そして私たちはタクシーに乗り、天王寺からミナミの道頓堀にある「かに道楽」へ移動した。
私たちきょうだいは、なんとなく気持ちが塞いだままだった。いつも優しい叔父が怒鳴るのを初めて見たからだった。
しかし、かに道楽の店の入り口の上で、巨大なカニの模型が動いているのを見ると、心が弾んできた。
道頓堀は見るだけならタダのテーマパークだ。グリコのおじさんが走り、くいだおれ人形がドラムを叩く。真ん中を流れる道頓堀川は鈍色だったけれど、大勢の人が、晴れやかに歩いていた。
かに道楽に入ると個室に通され、和服を着た中居さんがどんどんカニすきのセットを運んできた。
「カニ、食え。な、どんどん食えよ」
叔父はやっと笑顔になって言った。 無言で食べるのに、カニはちょうどよかった。そしてあんまり美味しいので、私たちきょうだいのテンションもどんどん上がっていった。
カニの甘味と旨み。ふわっとしているけど口の中に入れておきたくなる食感。薄めの関西風のだしも良い香りがした。
「どや、うまいか」
叔父は必死に食べる私たちを見て、満面の笑顔で言った。
「美味しい」
「うん」
私は、嫌なことを忘れさせるカニってすごいと思った。
そして、鍋はもっとすごい。
鍋を囲むと、人は心を寄せ会えると。
それぞれの湯気の香りが、きっと日本人なら誰の心にもあるのだろう。
私は一度も、叔父の演奏を聴くことはなかった。いや、家族は誰も聴いたことがなかった。
今でもカニを食べるとあの日のことを思い出し、食べ終わると「おっちゃんのサックス、いっぺん聴きたかったな」と、ふと思う。
https://www.facebook.com/aya.mori1
Photo by Ari Hatsuzawa
Hair&make Junko Kishi
Styling Hitomi Ito