音楽室は独特の木の香りがする。ピアノや、ギターや、マリンバや、先生の弾くエレクトーンや。そういう楽器を作っている木の香りが入り混じっているのだろう。
そしてそこに、金管楽器に吹き込まれる若い息吹の匂いも混じり合って。
その日も音楽室はそんな空気のなか、T先生の弾くピアノの周りに女生徒たちが集まっていた。
いつもきつい香水をつけて口紅が赤い音楽のT先生が、授業の終わりに八神純子の『みずいろの雨』を弾き語りしてくれるというのである。
「今日だけよ、怒られるから」
この先生はまだ大学を出たばかりだった。同じ中高の卒業生で、自分が習った先生もまだたくさん在籍しているので、先生というよりは、生徒の側にいるような人だった。
「♪ああああ みずいろのあめ〜」
声楽科だった先生の声はどちらかといえばクラシックに向いていたが、皆、その弾き語る姿に心を震わせた。たぶん、その頃、T先生は恋をしていた。だからやけに艶っぽく、滑らかな歌いっぷりだった。
「せんせ、かっこいい〜」
生徒たちはやんやと喝采して喜んだが、どうやら先生はその後、年上の先生に叱られたようで、もう2度と歌ってくれなかった。
「もう歌いません」
次の授業で、そう言って泣きそうな顔で笑うT先生はとても可愛らしかった。前歯に赤い口紅が付いていた。
私は家に帰ると、辞めたはずのピアノを開けて練習し始めた。もちろん、八神純子だったり、さだまさしのピアノ譜を開いて。
「ああ、バンドやりたいなあ」
しかし中学高校と通った女子校は、校則がやたらと厳しかった。ブックレットには「男女交際禁止」と、はっきり書いてあった。そんなことが起こりそうな他校との交流などもってのほかという空気が流れていた。
もちろん、軽音楽部などなかった。バンドを組むなんてチャラいことだったのだ。
それでも、卒業生を送る送別会のためだけのバンドを組むことは許されていた。
私たちは中3の時から、そんなバンドを組んだ。ピアノのやまもっちゃん、ベースの亀ちゃん、ドラムのくにこさん。バンド名は万葉集から「私の愛しい人」という意味を持つ手児奈(てこな)にした。
高2になると、ポプコンに憧れて、こそこそと寝屋川駅前のYAMAHA系の店、大東楽器のスタジオにも通った。
私はせっせと歌詞を書き、曲を書いた。
オーディションに受かってしまい、高校3年生の12月に、こっそりクリスマス・コンサートにまで出演することになった。
曲は私の作った2曲だった。
「な、せっかく受かったんやから、こっそり出ようや。みんな、推薦で大学決まってるから、受験も関係ないやん」
「もりちゃん、受験やろ」
「その何時間かで落ちるぐらいやったら、どうせ落ちるやろ」
私はどうしても出たかったので、もはや啖呵を切った。しかし、やまもっちゃんは「もしそれがバレて推薦入学が取り消しになったら」と心配した挙句、親に相談した。またそのお母さんが担任のH先生に相談してしまった。
H先生は私たちが中3の時、あの『みずいろの雨』のT先生と結婚していた。
「いいじゃないですか。音楽は人生にとって素晴らしいものです。学校側には内緒にしておきましょう。なんなら僕も応援に行きます」
そこまでいったH先生のおかげで、私たちは初めて一般の人の前で演奏することができたのだった。そしてバラードを2曲やった手児奈は「しっとりしたで賞」をもらった。