そのコンサートの後、私は大東楽器のおにいさんに呼び出された。
「大人のフュージョンバンドの人たちがいたの、憶えてる? 森さんの作った『プリンセス・パープル』という歌、あの人たちが演奏して森さんが歌って、ポプコン応募しない?」
そのフュージョン・バンドはクリスマスコンサートで優勝したバンドだった。手児奈のメンバーたちは「すごいやん、もりちゃん、やって〜」と囃し立てたが、大学受験が迫っていた。
私は珍しく父親に相談した。すると、父は実に冷静にこう言った。
「音楽はな、一生できる。大学入ったらなんぼでもできる。おまえがほんまもんなら、それからでもおそうない。ほんでな、高校時代の友達は一生もんや。おかんを見てみ。今でも付き合うてるのは中高時代の友達やろ。そやから、裏切るな」
なるほどな、と腑に落ちた。一人だけで大人の人たちと組んで仲間を裏切るのは違う、と私は思った。
大学だ。とにかく、大学に行ってから、音楽だ。
合格した女子大の新入生歓迎式典で、アメリカ民謡クラブの「紫美亜(シビア)」というバンドが演奏をした。
聴いたこともないジャンルの音楽だった。曲は『I thought it was you』と、『I can’t help it』だった。フュージョンに歌を載っけたような感じで、とてつもなく大人な音楽だと思った。
カルチャークラブのボーイ・ジョージに似た美女が当時まだ珍しかったDX-7と、ストリングスという2台のシンセサイザーを操っている。ポニーテールでDCブランドを着こなしたキュートな人がベースを弾く。なぜか聖子ちゃんカットだが表情を変えないクール・ビューティーがドラムを叩く。そしてボーカルはサラサラの黒髪ボブを揺らしながら、迫力満点だ。
「かっこいい〜」
私はまた思わずつぶやいていた。もう自分のオリジナル曲のことなんてどうでもよかった。
ああいう曲をやりたい。そう思った。
部活のオリエンテーションがあり、アメリカ民謡クラブの説明会へ行った。すり鉢状の大きな教室に、60〜70人の人たちがいた。
一人ひとりがなんともさまざまなファッションだった。そしてそれはやっている音楽のジャンルを現していた。アメリカ民謡とはいえ、正統のそれをやっているのは2バンド。そういう人たちは、時代遅れのベルボトムのジーンズを履いていたり、革のチョッキを着ていたりした。髪の毛の長いウェーブは、ヒッピーのようだった。
腕にジャラジャラと鎖をつけている人はロック・バンドだろう。
1年生と思しき入部希望者は17〜8人。隣にいたのは、一見、ヤンキーっぽい、髪の茶色い、爪の尖った女の子だった。生意気そうで、おしゃれで、でも顔はよく見ると和製美人だ。
私は最初に彼女に声をかけた。
「あの、楽器はなんですか」
「ギター。ゆうこです、よろしく」
想像通りの答えが返ってきた。彼女は英文科だった。私は見た目のオシャレさと「いい匂いがしそうな人」という基準で声をかけていった。
そしてそれは概ね、成功していた。
やはり、ファッションはやりたい音楽を物語っていたのである。