1989年11月。あのニュースが流れたのは、9日だったのか、10日だったのか。
夜のニュースで、若者たちが狂ったように壁を壊している映像が流れていた。私は6月に開局したばかりのFM802の編成部のテレビで、それを見つけた。
それに加えて、その映像を感慨深く見つめながら顎の肉を引っ張っている上司のTさんを見つけた。
「どうしたんですか」
「ベルリンの壁が壊されてるんや」
東ドイツ政府が「事実上の旅行自由化を発表したことで、その日の夜に市民が殺到し、国境検問所が解放された。その混乱の映像だった。
私はベルリンは東西が分断されているという事実を知ってはいたものの、そこに至るまでにやはり越境しようとした人が射殺されたり逮捕されているということは想像するだけだった。
その人々の狂喜的な混乱は、その分断がいかに長く重いものだったかを思い知らせた。
壁の破片を手に唸り声をあげる若者や、肩を組んで歌う人、泣き喚く人。私はTさんと、しばらく画面を見つめていた。アシスタントのKさんも、なにこれ、と加わった。
しばらく見つめていて、Tさんはちょっと微笑んで言った。
「時代が変わるな。そういう年に僕らはここを開局したんやな」
「そうですね。すごいことですよね」
私はその年の1月に入社して以来、Tさんとはそれまであまり打ち解けていなかった。
どちらかというと、それまでの私の知人たちはTさんのやろうとしていることや音楽の趣味に懐疑的な大阪の保守本流のような人たちだった。Tさんは東京からのスタッフも大事にし、歌謡曲ではない音楽を主流にした放送局を作ろうとしていた。
私はそれまでお世話になった人たちが間違っているとも思えず、どこかでTさんに反発していたのである。
しかし、一緒に仕事をするにつれ、Tさんのやり方も新しくて良いのではないかと思いつつあった。
まるで心の中に、壁があって、二つの考えが対立しているような状況だった。
だから目の前で強靭な壁がものすごい勢いで壊される映像は、私の中のわだかまりも壊したのかもしれない。ひょっとしたら、Tさんのわだかまりも。
その映像をTさんと一緒に見た時から、何かこの時代を共有している、空気を分け合っていることで共感したような気がしたのだった。
ビジュアルで壊れるものを見ることで、心の中の何かを壊すこともあるのだろうか。
いつかベルリンに行けるかな、と、その時、ふと思った。
まさかそれが10年後に叶うとは夢にも思わずに。