今は「JK」などという言葉もあるようだが、私たちの時代は女子高生で、女子生徒だった。
私が通っていた中高はカトリック系の女子校で、当時は校則がやけに厳しく、男女交際禁止、アルバイト禁止という見えない鎖があった。
それでも心は止められるものではない。
高1にもなると、通学の電車の中で男子校の生徒に名前を聞かれたとか聞いたとか、そんな話があちこちで囁かれた。たとえ片想いであってもデートしなくても、キルティングの布で巾着を作ってプレゼントしたりするのが流行っていた。
そして、ニューミュージックと呼ばれたJ POPの曲の歌詞などをノートに書きつけては、恋に恋したのである。
なかでもおませな少女たちに人気があったのがユーミンだった。
ユーミンは1976年にすでに松任谷由実、になっていた。
1980年。同じクラスで勉強も運動もできておまけに美人で性格も良いというJさんに勧められて、私も初めて聴いた気がする。
「『14番目の月』、ロマンチックやわ〜。『セシルの週末』も好き」
Jさんはノートの中のユーミンの詞を見せてくれた。確かにさだまさしや松山千春より相当おしゃれだった。
ユーミンは’78年に『流線形’80』を、79年に『悲しいほどお天気』をリリースしていた。私は『Destiny』や『ジャコビに彗星の日』のような失恋未練系ソングに惹かれたのだが、Jさんが好きだという歌はもっと大人な恋愛感情をうたった曲だった。
「早く大学生になって、彼氏とスキーに行ったり、夏はサーフィンしたりしたいな」
そう、恋をしたら、あるいは恋を探しにスキーに行くものだという思想、ユーミンが植え付けたんじゃないかと思うくらい、私たちの世代はスキーが盛り上がっていた。
運動神経の鈍い私は、スキーとか、サーフィンとか、テニスとかしなければ恋愛ができない世の中が恐怖だった。
Jさんは『風の中の栗毛』も好きだと言った。変なタイトルだな、と私は思った。
… ある朝、私は光る風にまたがり
そんな歌詞から始まる。どうやら、栗毛、は、馬のことらしい。
馬だとは一言も書いていないのに、どう考えても馬で、その歌を聴いた途端、私はその馬にまたがって、朝露の高原を走っている気持ちになれた。
誰もいない早朝の、澄み切った風の香り、草の香り。馬の滑らかな毛並み。打ち明けてしまった手紙を取り戻そうと一心に走る、真っ直ぐな思い。
ユーミンの歌詞の世界は恋愛小説のようだった。ひとときそこに入り込み、主人公になってみる体験までできた。
私たちはユーミンの歌とともに、大人になって行ったのだった。