大阪に生まれ育った私は、秋になるとある場所でとれる松茸の香りを思い出す。
それはブータン産でも中国産でもカナダ産でもない、丹波篠山の松茸の香りだ。
千林商店街の「とりやま」という八百屋は、山の斜面のように野菜を陳列していた。その上の方に「丹波篠山 松茸」という筆文字の札とともに、アカマツだろうか、葉っぱを敷いた木箱の上に鎮座した松茸がずらりと並んでいた。
昭和40年代、小さいものは500円くらいからあったと思うが、1000円、2000円、5000円となるとずいぶん立派で、誰が買うのだろうと思って見上げていた。
もちろん、買ってくるのは500円、せいぜい1000円のものだったと思う。
母も祖母もその土を丁寧に払い、皆が香りを楽しめる松茸ご飯と吸い物にしていた。
ガス炊飯器の湯気が上がる頃、家中にその松茸の香りがじんわりと広がる。小さい私は炊飯器のところへすっ飛んでいって、大きく深呼吸した。
「ああ、いい匂いやなあ」
「匂いを食べるもんやな。あんまり味はあらへん」
祖母が調理の手を動かしながら言った。
時折、祖父だけが網の上にアルミホイルで包んで焼いたものに、ちょっぴりの薄口醤油とすだちを絞って食べていた。日本酒をちびちびなめながら。
父は松茸が大好物で、どうやら接待で食べてきたらしい松茸の話をよくしてくれた。
「土瓶蒸し、ちゅうのがうまいんや」
「あれは料理屋で食べるもんや」
母は言った。なんでも、急須の形をした小さな土瓶に、出汁を張って、そこに松茸やら海老やら三つ葉やらが入っているらしい。急須の口から出汁だけをおちょこのようなものに注いで飲んだり、松茸を食べたりするらしい。
台所の片隅に、うちの大きな土瓶が見えた。それは漢方薬や健康茶を煮出すためのものだった。
あんなところに入れるのだろうか。いや、きっともっと綺麗なものなんだろう。だいたい、うちの土瓶に入れたら薬草の匂いで松茸の香りが消えてしまうだろう。
折しも、祖母の家で購読している「暮らしの手帖」の『吉兆味ばなし』に、こんな話が載っていた。
土瓶蒸しに旬の終わりの鱧と出始めの松茸を合わせる。これが、出会いもんというか、本当に短い期間しか食べられない、本物のご馳走なんだと。
多分小学生だった私の心に「はもまつ」はしっかり刻まれた。大人になったら絶対に食べたいと思ったものの一つだった。