料理をするのが好きだ。人をもてなすのはもっと好きだ。
自分の作ったもので人が「美味しい」笑顔になると、ああ、生きていてよかったと思う。それは、インタビューなどして書いたものを気に入ってもらうのと似ている。似ているけれど、インタビューは食べられない。料理は目の前で、ぱあっと食べたその人の目の色が変わる。もっともっと、生きている感じが伝わってくるのである。
そもそもそんな自分になったのは、とても悲しい失敗があったからというところから始まる。
何もかも、一朝一夕ではない。しあわせの種は失敗のなかに潜んでいたりするものだ。
それは私が中3の頃だったと思う。二つ年下の弟は中1で、その下は小学1年生になったばかりだったか。
母親は表札やちょっとした持ち歩ける程度の特注のサインを実家の工場や叔父叔母の工場で印刷してもらい、大きなサインの会社に売るような仕事を始めていた。家事などこれっぽっちもしない夫、3人の子どもの世話、私のお弁当、プラスそんな仕事で、もうヘトヘトだったに違いない。あるとき、本当にダウンしてしまって「なんかご飯は炊いといたから、適当に3人で食べて」と、寝床に引っこんでしまった。
台所に、野菜や豚肉、八宝菜の素があった。私は見様見真似でできるのではないかと思い「お姉ちゃんが八宝菜を作るわ」と意気込んだ。
下の弟は「やったー!お姉ちゃんが作ってくれる」と、めちゃくちゃ素直に喜んだ。上の弟も期待している顔だった。
私はにんじんを切り、白菜を切り、玉ねぎを切った。ちょっと大きいかなと思ったけど、この八宝菜の素さえかければ美味しくなるはずだと思った。
「できたよ」
「わーい。お姉ちゃんが作ってくれた」
大皿から、弟たちが皿にとって食べた。
「…」
弟たちのテンションが、だんだんと下がっていくのがわかった。私もひと口食べる。玉ねぎが、生煮えだった。全然火が通っていないところへ、八宝菜の素をかけてしまったのだった。
「煮えてないな。あかんな。ごめん」
私は心から謝った。
「ええねん」
また珍しく、弟たちは文句ひとつ言わなかった。そして静かに箸を置いた。
私は、自分が姉として人間として最低のことをしたと思った。
祖母も母も、いつも美味しいものを当たり前のように作ってくれた。そんなことは誰でもできると思っていた。それが、このざまだ。
「美味しく食べたい」と期待した人たちを、がっかりさせてしまった。感謝を込めて食卓を囲んでくれた大事な弟たちを、がっかりさせてしまった。
その失敗は、私のなかに深く刻まれた。
いつか、自分が台所を預かるようになったら、絶対に美味しいものを作れるようになりたい。大事な人たちに、いつも美味しいものを作って、食べてもらいたい。心から、そう思った。