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  • その34「新月の日のラベンダー」

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●ジャスミンの香る家

 マドリードの空港に着くと、叔父夫婦が迎えにきてくれていた。
 叔母はスペイン人だ。ずいぶん昔、どうやら叔父がナンパして結婚までこぎつけたらしい。当時、日本にやってきたときは愛らしい華奢な女性だったが、例にもれず立派にふくよかなスペインのマダムになっていた。

 叔母はとても優しい人で、名前をクリスティーナという。
 クリスティーナが日本に来たのは、私が小学2年生の時だった。彼女はビーズのブレスレットをしていて、私がそれをじっと見ていると、手から外して、私にくれた。
 うちの親はびっくりして「そんな大事にしていそうなもの、あげなくていいよ」と言って「通訳して」と言った。叔父が通訳しても「いいのいいの。綾にあげるんだ」と、にっこりした。
 だから私は、この時は彼女と、私の従姉妹である2人の娘にお土産を持っていった。
 何を持っていったか忘れてしまったが、とても喜んでくれた。
 叔父の家はマドリードから車で20分くらいの住宅街、リバスにあった。
 92年に初めて来訪した時はマドリードのど真ん中のマンションだったが、このあたりはもうリタイヤした人が多く住んでいそうだった。東京に例えたら、たまプラーザみたいな感じかもしれない。
 同じような3階建ての戸建が並んでいた。門のそばに生垣があり、叔父の家はジャスミンが満開だった。
 2〜3軒先まで、その香りがしていた。
 そこから門から玄関までの間にも、いろんな植木があって、生き生きとしていた。スペインの太陽は熱いけれど優しそうだった。
 ふと、思い出した。
 叔父が1人で日本に来たとき、クリスティーナのお土産に「アナイスアナイス」という香水を探していたことがあった。
 こんなお花らしい香りが、彼女は好きなんだろうと思った。
 客間もほのかに、良い香りがした。

●新月の日のラベンダー

 朝から市役所で挙式、披露宴はガーデンレストランで夜中のダンスパーティーまでという長い結婚式が終わった。新婦は「ヒッピースタイル」だと言って、レースの超ミニのウェディングドレスを着て長い脚を見せつけた。警察官の新郎の両肩には派手なタトゥーが入っていて、この国は開放的なんだと思わせた。
 実は2人にはもう3人の子どもがいた。男の子2人と、赤ちゃんの女の子が1人。早く結婚式を挙げたかったのに、大量の移民申請の書類に紛れて、後回しにされていたらしい。
 みんなドレスアップして、楽しんだ。新婦の美しい女友達たちのドレス姿はまるで「SEX AND THE CITY」を見ているようだと私は思った。
 私と叔父はその後、マラガへ行って、またリバスに戻ってきた。
 すべてが夢のようで、悪いことはひとつもなかった。
 そして何が幸せだったかと言って叔父一家たちが「私たちはファミリーなんだ」と言ってくれて、それを一緒に味わおうとする、その感じだった。一人暮らしも長くなった私にとって、その感じはどこかこそばゆく、懐かしく、大切だった。
 さあ、明日は帰るという前日の朝、クリスティーナは洗面器にラベンダーの花を入れたものをもってきた。

「え」

 何か言っている。叔父が通訳してくれた。

「これで顔を洗いなさいと。6月の新月の日のラベンダーを浸した水で顔を洗うと、幸運があると言ってね」

「それはやらないと」

 最初は手をつけようとしていた私だったが、素直にその水を顔につけた。
 なんとも言えない、優しい、心の水面がすーっと凪いでゆくような香りがした。
 自然の、さっきまで土の上にいた花の香り。
 それはやっぱり、ドバイのきつい香水より、私には滲みた。

 クリスティーナは「よしよし」という顔で、洗面器をもっていった。

「幸せになるように」

 彼女はそう言ったような気がした。が、叔父は通訳はせずに言った。

「きっといいことがあるよ」

 私はなんだか泣きそうになって、堪えた。
 だからもう死ぬまで、ラベンダーの香りを嗅ぐと、その朝のひと時を思い出す。
 そこにいるファミリーのことを、思い出すのである。


https://www.facebook.com/aya.mori1

Photo by Ari Hatsuzawa
Hair&make Junko Kishi
Styling Hitomi Ito

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