《1》
路面電車で「上町」という駅で降り、踏切を越えて角を曲がると、ふんわりと金木犀の香りに抱かれた。
木は縦に長く、3メートルはあるだろうか。
佳子は4歳になる娘の美菜の手を引きながら、つと胸をつかれるように立ち止まって見上げた。
秋の始まりのしんとした黄昏のなかに、その木は短い花の時期を過ごしていた。
「ママ、いい匂いがする」
美菜も嬉しそうにその匂いをふう、と吸い込んだ。
「これ、なんのお花」
佳子は美菜と手をつないだまま少しかがんで、美菜の顔から木を見上げるようにした。
「きんもくせい、っていうのよ」
「オレンジのお花なんだね。小さいお花がいっぱいついてるんだねえ」
美菜の小さな手が花へと伸びて、少し触れた。
「うん。そうだね。… 行こう。レッスンに遅れちゃうよ」
母親に促されると、美菜はおとなしく歩き出した。
佳子は上町にあるピアノの先生の家へ、週に一度、美菜を連れていく。
春から通い始めて半年になる。
何度、二人で、この道を歩いたことになるのだろう。
でも金木犀の香りが漂った今日は突然、佳子は違う場所を歩いているような気持ちになった。
ここではない、どこか。
ええと、あれは。
子どもの頃、あの坂の上の家へと歩いているような。
そして母親に手を引かれていたのは、美菜のようだった、4歳の私。
金木犀の香りに初めて出逢ったときの、あのことが思い出されて、胸をしめつける。