47歳のとき、日本のポップス界を離れ、単身渡米。
NYでジャズの専門学校へ入学し、4年半かかって卒業。今やブルックリンに根を張ってジャズピアニストとして活躍する大江千里さん。
すっかり馴染んだNYの香りとともに今の自分について語ってもらいました。
スタジアムでコンサートをするほどの人気だったポップス時代の大江千里さん。その傍ら、インタビュー番組の司会者、役者、エッセイの執筆と多方面に渡って活躍されていましたが、あるとき、どうしてもやりたかったジャズへと心が動き始めました。
「人生には限りがあって1回しかない。ニューヨークのニュースクールというジャズの音大を調べたら、海外から音源を送って実技で合否が出せるというのがわかって。送ってみたら、秋くらいに合格通知が来ました。今行かないともうチャンスは来ないんじゃないかという気持ちで決めたんです」
もともと4歳からクラシック・ピアノを弾いていたそうですが、ジャズという謎にはまったのが中学生のとき。
「大阪・難波のYAMAHA難波センターに作詞作曲の精鋭を集める会みたいなものがあってそこに通ってて、YAMAHAの先生たちに曲のブラッシュアップをしてもらってたんですね。その帰り道にアメリカ村の中古レコード屋さんで見つけたジャズアルバムをこつこつ買い貯めてたんですね。3歳でクラシックピアノから始めて小学校4年生でポップスの曲を作り始めたけど、この時触れたジャズって音楽がそれまでのどの音楽とも全然違う。どうしたらこんな音が作れるんだろうと思ってひたすら聴き続けてました。心のどこかでずーっと解けなかったジャズという音楽の謎をちゃんと解き明かしたい。そんな密かな想いがあったんです」。
NYには、92年にアパートを借りて行ったり来たりした経験がありました。
「アメリカで生活しながらもお金を稼ぐというリアリティはずっと日本にありました。だからやはりそこで勝負しないといけないと思い直しNYのアパートを引き払い、最後にタクシーに乗ってNYを離れクイーンズボロ橋を渡りながらリヤウィンドウからマンハッタンを見返したとき、もう二度とこの街に帰って来ることはないな、と思いました。そしてもし次に帰ってくることがあるとすればそれは永住の時なのかな、とふと思ったんです」
まさに今は永住権をとってジャズピアニストとして生きている大江さん。4年半苦労の連続だった学生生活、その後の現地ミュージシャンとしての一歩一歩は、自著『9番目の音を探して』の中に克明に描かれています。
「ひりひりするような一瞬一瞬を忘れないために書き留めたかったんです」。
原稿用紙1000枚にも及ぶその膨大な言葉に、夢を形にすること、生き抜いていくことの意味を感じます。