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今かぐわしき人々 第105回
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    第105回:生島ヒロシさん(フリーアナウンサー)

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 TBSのアナウンサーとして13年間活躍し、先頃亡くなった田村正和さん主演のドラマ『パパはニュースキャスター』にも局アナとして出演していた生島ヒロシさん。現在はプロダクション経営をしながら、同局でフリーアナウンサーとして早朝のラジオ番組を担当しておられます。穏やかで爽やかな笑顔の生島さんですが、そういう人ほど、乗り越えてきたものは大きいのかもしれません。

《1》20歳の時、単身アメリカへ。そこでの4年が人生の試験期間だった

 宮城・気仙沼に生まれた生島ヒロシさん。漁師町で屈強な男たちを見ながら育った子どもでした。

「プロレスがお茶の間のテレビで見られるようになって、力道山が大人気の時代でしたから。一方で日活映画では石原裕次郎、小林旭が活躍していた。男は強くて優しいものだと自然と思うようになっていきました。両親からも『世間様に迷惑をかけてはいけない』『嘘はつくな』と、教えられて来ましたからね」

 父親がバイクの時に腰に巻くベルトを巻き、力道山ごっこをしたことも。

「自分は力道山役で、子分はグレート東郷にして。僕はやんちゃでした。でも女の子の前に行くと真っ赤になって何も言えなくなるヤツでね。人前で喋るのも辛かったですね。通っていた小学校は3600人児童がいたのですが、月曜の朝礼で今週の努力目標を学級委員が発表しなくちゃいけないんです。苦痛でしたね」

生島ヒロシさん

 やんちゃながらも一方では学級委員。人気者だったことが窺える生島さんですが、コンプレックスだった「喋り」に目覚めていったのも、やはりテレビやラジオの影響だったようです。

「日曜に『ロッテ歌のアルバム』というので、玉置宏さんが司会をしていらっしゃいました。当時は橋幸夫、西郷輝彦、舟木一夫の御三家です。流暢に喋る姿がかっこいいなと。その後、高校生になると、深夜放送ラジオを聴くようになりました。僕には土居まさるさんがスターに思えた。そうか、ビジュアルで勝負しなくても、アナウンサーやDJなら僕もスターになれるんじゃないかと。いや、僕は本当に喋りがうまかったわけではないですが、そんなことを漠然と思ったのでした」

 高校2年生の時、弟が生まれ、大学受験を諦めていたという生島さんでしたが、父親は大学へ行くことを勧めました。

「それで慌てて受験勉強をしましてね。法政大学へ入りました。アルバイトを三つやって、仕送りなしで頑張りましたが、ちょうど学生運動の時代の終わりごろで、…挫折もありましたね」

 大学時代の生島さんは松濤会流の空手同好会に所属し、極真会館にも通っていました。武道にはかなり本気ではまっていたのです。ある日、同好会の顧問の先生からアメリカへ行かないかと持ちかけられました。

「アメリカで自分を試したいと僕も思いました。それで3年生の時に休学して、アポなし、一人でアメリカへ行くことにしたんです」

 アメリカの道場で知り合ったのが、ショー・コスギさん。

「同じ先生でした。よく相手をしましたよ。でも彼は初段で道場を開いちゃった。アメリカはすごいな、なんでもありだなと思いましたね。20歳から24歳のアメリカでの4年間は、その後の人生の困難を乗り越える試験期間だったのかもしれません。でもあの4年間があるからこそ、ドラえもんのどこでもドアじゃないけど、常に道はあるはず、と思えるんです」。

生島ヒロシさん

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