人間国宝となった上方舞吉村流四世家元、吉村雄輝の長男として生まれた池畑慎之介さん。自らは唯一無二のキャラクターで「ピーター」として歌手デビューし、その後、役者、タレントとしても活躍するように。50年以上の芸能生活を振り返り、今ある自分について、語っていただきました。
大阪・ミナミ、宗右衛門町。大阪の中でも有数の繁華街に生まれた池畑さんの父は、上方舞吉村流四世家元。自身も3歳の時、初舞台を踏んでおり、後継になるよう厳しく仕込まれたそうです。しかし、5歳の時、両親は離婚。母親と暮らすことを選んだ池畑さんは、その後、10年間は鹿児島で暮らすことに。
「両親はその後、10年間離婚していて、またもとに戻るんですけどね。鹿児島に住んでいた10年間は、母が喜ぶ顔が見たくて学校の勉強をよくしました。予習して復習して、って頑張りましたよ」
その甲斐あって、名門、ラサール中学へ。
「当時のラサールはバンカラでね。全員丸坊主で、下駄で通ってもよかったんです。私は顔立ちが女っぽかったので『尼さんが来た』なんて言われましたよ(笑)」
しかし中学3年生の時、家出して上京します。女っぽい顔立ちは、少し大人っぽくも見えたのでしょう。
「年齢を誤魔化してゴーゴークラブで踊っていました」
一旦、大阪に連れ戻されたものの、高校時代に再び上京。
「またゴーゴークラブで踊っていたら、ピーターパンみたいな子がいる、と噂になりました。男の子なのか、女の子なのか、って。それまでは慎之介の慎でしん坊と呼ばれていたのですが、その頃からピーターと呼ばれるようになりました」
やがて美少年・ピーターは映画の主役に抜擢され、1969年に俳優としてデビュー。その直後、歌手としてデビューすることに。キャッチフレーズは「アポロが月から連れてきた少年」でした。
デビュー曲の『夜と朝のあいだに』を歌う姿は、筆者も憶えています。女性のようなメイクで歌う彼の声は、低く、滑らかな男性の声。
「当時、私の見た目と声のギャップで、テレビを見ていた人たちが歌い出したら声がおかしい、と、テレビが壊れたのかと、テレビを叩いた、という話を聴いたことがあります」
ご本人は、メイクすることをこんなふうに考えていました。
「歌舞伎だって、男性が女形になるし、宝塚歌劇は女性が男役になるし。ひとり宝塚くらいの気持ちだったんですけど」。