日本において、アートディレクションやデザインと言われるものが確立していった歴史とともに、この人の名前がありました。浅葉克己さん。浅葉さんは1964年にライトパブリシティに入社。キューピーマヨネーズ、東レ、ヤマハなどの広告で注目を集め、70年代から80年代、蕩尽と言われるほどの広告に溢れた時代に活躍の幅を広げました。バブル経済が終わり、時代が移り変わっても、自らが面白いと思うものをひたすらに求め、それが世の中への刺激になっていく。この人こそ、世界に誇る類まれなクリエイターなのです。
浅葉克己さんの事務所は都内の一等地、青山の大通りを一本入ったところにあります。
金庫のような金色の門の建築物は、イタリアの建築家、アルド・ロッシィによるもの。
「最初は真四角だったんだけど、末広がりにしてくれと頼んだんだよ」
入り口にはバーのようなスペースがあり、広いオフィスへ。しかしそこには過去に開催された展覧会からこれからの仕事の準備に至るまで、たくさんの資料が山積みに。
その一隅のデスクに、浅葉さんは座っていました。デスクには不思議な動物が向き合う骨董の香立てから、お香の煙が漂っています。
「お香はもともと薬のようなものだし、心が落ち着くんだよね。器がいいでしょう。台湾で買ってきた骨董の香立てで、象ってある動物が怪しい。中国の古いものなんでしょう。台湾では、渦巻きのお香が回ってるところへ2回くらい行きましたよ。1日がかりで行くお寺。鹿港の龍山寺だったかな」
お香の香りは、特に好みはないとのこと。
「最近、あまりどこにでも売っていないでしょう。比叡山から叡山香というのを送ってもらっていたり、銀座の鳩居堂へ行って、その時の雰囲気で手に取ったものを買ったりしますね」
比叡山や高野山が好きだという浅葉さん。
「比叡山を開いた最澄の言葉がいいよね。『一隅を照らす』。彼のテーマですね」
比叡山では、世界中の亡くなった名デザイナーたちのための法要を行なったことも。
「尊敬するデザイナーの名前を書いて渡したら、一番偉いお坊さんがお経をあげて1人ずつの名前を読んでくれました。連れていったのは、AGI(Artificial general intelligence)というやはり世界中のアーティストたち。2006年から2019年まで、ポルトガルやメキシコ、ブラジルといった珍しいところへみんなで行きました。200人ぐらいいたのかな。比叡山の時は、新幹線にちゃんと乗せるのが大変だったなあ」
浅葉さんがお寺に心を寄せるのは、神奈川・金沢文庫に育った子どもの頃、称名寺という寺のそばで育ったことがありました。
「赤門があって、仁王門があって、運慶快慶の仁王像があるんです。目玉にちゃんとガラスが入っていて、そのそばに座るのが好きだったんですよ。中へ入っていくと、梵字の「あ」を象って作られた池があります。金沢文庫には兼好法師や日蓮の書があって。学生時代、そこで仏像をスケッチして置いてあったら、芸大の先生たちのグループがわらわらやって来てね。絵に添えてあった僕のタイトルの字を見て『この字は誰が書いたんだ!?』と、字を褒められたんです」
浅葉さんのデザインの中心には独自のレタリングがあります。美しく鋭く、誰が見ても浅葉さんの書体だとわかる、オリジナルの力がある書体です。その片鱗は、すでにその頃芽生えていたのでしょう。そう問いかけると、憮然とこんな答えが。
「絵は褒められないしねえ…」。