FM802のメインDJとして、第58回ギャラクシー賞ラジオ部門DJパーソナリティ賞を受賞した落合健太郎さん。引っ込み思案だった少年がラジオに自分の存在価値を見出すまでには、いくつかの通過点があったようです。爽やかで謙虚な語り口の落合さんに、普段のオンエアでは聴けない自分のことをトークしていただきました。
これまでバイリンガルDJといえば、ある独特のアメリカナイズ寄りの語り口があったように思います。しかし、落合健太郎さんの語りはどこか慎み深さが見え隠れします。
開局して30数年になる大阪・FM802では初めてのギャラクシー賞を取ったDJとなった落合さんは、その受賞も謙虚に受け止めていました。
「本当に驚きました。初めて聴いた時はドッキリかと(笑)。他に大先輩もいるし、遠い話だと思っていましたから。光栄なことです。その時は実感がなく、周囲の人たちの『おめでとう』という言葉に徐々に実感させてもらいました。本当に人に恵まれてここに来たんだなと感じています。コロナ禍で、ラジオこそ人と人を密接につなぐメディアなんだということがわかったから、これからも一方通行ではない、横の繋がりを大事にしていきたいです」
落合さんは特に夜9時からの帯番組「ROCK KIDS 802 -OCHIKEN Goes ON!!-」で、リスナーをラジ友と呼び、友達の感覚を大事にしてきました。
「僕との友達感覚というより、聴いている人たち同士ですね。例えば、リクエストメッセージに学校名を書いて送ってきてくれると、必ず読むようにしています。緊急事態宣言で学校までが閉ざされた時に、ああ、みんなどこかでこれを聴いているんだな、と思ってほしかったから。行事がなくなってしまって、やるせない気持ちをみんな持っていた。思い出を作りたいと言っていた。そういうラジ友たちが、ツィッターなどで繋がっているのを見ると、本当に嬉しい気持ちになりました」
”ラジ友”という言葉が生まれたのには、彼自身の理由もありました。親の転勤で、10歳の時、アメリカへ。中高大を彼の地で過ごした落合さんは、中高時代、引っ込み思案で友達が出来づらい経験をしていたのです。
「最初は言葉の壁もあるし、すごく自分のなかで溜めていたコンプレックスがありました。つい我慢していたというか。それで、最初に友達ができたきっかけはハードロックだったんです。同じ音楽が好きな人たちと友達になれた。その後、大学の時に演劇部の授業があって、自分を表現する面白さを味わってしまったんですよ!」
役になりきれば、自分を出せる。そう気づいた落合さんは、帰国後、オーディションを受け続け、やがて青年座の養成所に入ります。
「養成所に入ってみたら、みんなすごい人ばかりで。あれ、自分は演技ではやっていけないんじゃないか、と思いました」
その時、ふと目にした雑誌で、ラジオDJのオーディションがあることを知ったのでした。