ラジオならいけるかもしれない。落合さんはアメリカでの大学時代に、キャンパスラジオで番組を作っていたことがあったのでした。
「直感でしたね。僕は現地でたくさん音楽も聴いているし、カレッジチャートの番組もやっていた。これは向いてるんじゃないか、と。それで当時新人DJの登竜門のように言われていた、名古屋のZIP-FMのオーディションを受けたのです」
1999年、落合さんはそのオーディションに合格し、月〜土曜の深夜3時から早朝6時という生放送番組を担当することになりました。
「ちょうど父親が単身赴任で名古屋にいたので、カバン一つで転がり込みました。番組の時間に合わせ、夕方6〜7時に起きると、父が会社から帰宅する。だから1日の最初の食事が夕飯でした(笑)。別に辛いとも思わなかったですね。業界ってそんなものなのかと」
その超深夜番組を1年担当した後、翌年は月〜木曜深夜1時から3時の番組へ。その頃、今の事務所のディレクターが大阪のFM802に売り込んでくれて、2002年4月からは大阪で週1回を担当する番組も始まりました。
「当初は大阪弁にも慣れていなくて、普通に言われていることも怒られているのかと(笑)。僕もよく分からず、浮ついたところがあったんでしょう」
2008年に担当番組『ROCK KIDS 802 -OCHIKEN Goes ON!!-』は夕方から夜の時間帯へ。番組開催の大きなイベントで司会をすることも増えました。そして2013年にはとうとう同番組を月〜木曜、一人で担当することに。
「嬉しかったですが、毎日となると受け入れてもらえるのかとか、不安もありました。生活拠点も名古屋から大阪になりましたし。でもそこからまた8年ですか。ありがたいです」
最近は、Apple musicのラジオパーソナリティーの一人でもあります。
「新型コロナがアウトブレイクする寸前のある日のことでした。突然電話がかかってきて、こういうラジオをやろうと思っているけど、興味ありますか、と聞かれ、本当かなと思いながら。2020年2月にはカリフォルニアへ面接に行きました。緊張しましたね。面接は英語だったけど、番組自体はjapanのものなので、主に日本語でやっています」。