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今かぐわしき人々 第118回
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    第118回:野口五郎さん(歌手)&岩崎宏美さん(歌手)

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 デビューして50周年の野口五郎さん、46周年の岩崎宏美さん。元祖アイドルから大人の魅力溢れるシンガーへと進化し続ける2人が、この秋から冬、強力なタッグを組みます。11月24日にはデュエット・シングル『好きだなんて言えなかった』をリリース。名古屋、大阪、東京でのプレミアムコンサートも開催。コロナ禍の混乱にもめげず、歌い続け、新たな支持を集めるお二人に、本当にスペシャルな時間をいただきました。

《1》百恵ちゃんは五郎さんを慕っていた!?

 野口五郎さんがデビューしたのは1971年。両親もプロ一歩手前の歌手だった野口さんは、子どもの頃からどうしても歌手になりたかった人でした。そしてそのお父様も、戦争がなければデビューしていたはずでした。

「父親のライバルは田端義夫さんだったんです。コンクールで田端さんが1位になり、父は2位。翌年こそと思ったら、召集令状が来てしまった。戦地から帰還して、僕が小1の時、たった一曲教わった歌は田端さんの『帰り船』だったんですよ」

 お母様も、ポリドールからオファーが来てデビュー寸前まで行った人。でも親御さんの反対で岐阜から上京することは難しかったのだそうです。
 そのポリドールから、プロとしてデビューすることになった野口さん。さぞかしお母様もうれしかったことでしょう。
 そして、お兄様の佐藤寛さんは作曲家。そんな遺伝子から出来上がったものなのか、素晴らしい歌唱力で、野口さんはあっという間に人気歌手になっていきます。佐藤さんが作曲した『私鉄沿線』は、代表曲の一つともなりました。

 そこから4年遅れで岩崎宏美さんは「スター誕生!」というオーディション番組からデビューしました。
 2人が出会ったのは、ある歌番組。
 4年以上先輩で、すでに大スターだった野口さんは、岩崎宏美さんの目には気難しそうに映ったそうです。そして、岩崎さんにとって衝撃的な一言が。

「音合わせの前に、脚を組んで座っていたら、五郎さんに『女の子が脚なんて組むもんじゃないよ』って言われたんですよ。叱られた、ってすごいショックでした」

野口五郎さん&岩崎宏美さん

 野口さんはその時のことをこう振り返ります。

「言った後、後悔しました。本人は豆鉄砲を喰らったような顔をしてましたからね(笑)。さりげなく言ったつもりだったんですよ。ただね、筒美京平先生の曲を最初から歌いこなすほど歌がうまい子が出てきてね、ちょっと僕も身構えていたのかもしれない。僕の中で、すごく勝手にイメージを膨らませていたのかもしれないですね」

 今はそんな昔話もニコニコと笑い飛ばしている岩崎さん。お二人の共通点は、先ごろ亡くなられた名作曲家・筒美京平さんの楽曲を歌っていたということもあります。

「でも京平先生はなかなかレコーディングに現れることはなかったですね」(野口さん)

「ものすごくたくさん書いていらっしゃったからね」(岩崎さん)

 押しも押されぬスターだったお二人の思い出話はいくらでも聴いていたくなります。

「そういえば、モモリン(山口百恵さんの愛称)はゴロリン(五郎さんの愛称)のこと、慕ってたよね」(岩崎さん)

 クスクスと、遠い昔を思い出して笑う野口さん。学生時代の思い出トークのような話が始まりました。
 岩崎さんが言います。

「百恵ちゃんが、ある時、私に『五郎さんに電話番号を教えてもらったから、かけてみたら、公衆電話だったの。公衆電話の番号を教えたりするのね』って言うんですよ(笑)」(岩崎)

 当時の野口さんは、どうやらふざけていた様子。

「『あれ、僕、通りすがりの者なんですけどね。今、公園の公衆電話の受話器をとったんです。ええと、どなたですか』『え?えええっ』って、困っててさ(笑)。なんか、笑わせたかっただけなんだけど」

 どうやら若き日の野口五郎さんは、かなり照れ屋さんだったのではないでしょうか。

野口五郎さん&岩崎宏美さん

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