10代の頃からプロのクラシックギタリストとして活躍し続け、来年30周年を迎える村治佳織さん。昨年12月には『Music gift to』というベスト・アルバムをリリース、東京・サントリーホールでのコンサートも成功させました。3月にはまたそのサントリーホールを含む複数の会場で、6日間連続でアランフェス協奏曲を演奏する挑戦も。胸に抱く一台の楽器で、多くの人々に大きな感動を届ける彼女のこれまでとこれからを伺いました。
村治佳織さんといえば、デビュー当時から『ニュースステーション』や『たけしの誰でもピカソ』、『情熱大陸』といった番組で美少女ギタリストとして話題になっていました。その頃、まだ高校生だったのです。ジュニア・ギターコンクール、学生ギター・コンクールと優勝し、1992年にはブローウェル国際ギターコンクール、および東京国際ギターコンクールでも優勝。
「大きな二つのコンクールで優勝したのが14歳の時。同時期に、ビクターからCDデビューの話をいただきました。当時、習っていた先生が推薦してくださったんです。翌年、CDデビューしましたから、中学3年生、15歳の時でした。ただ表に出たいという感じはなく、淡々と弾いていましたね。周囲の大人たちも良い方が多くて、若さだけが注目されることの内容、年齢を伏せたりしてくださっていました。学業を後回しにすることもなく、長い休みの間に地方でのコンサートをしたり、ゴールデンウィークにレコーディングをしたりしていました」
そんなスタートが切れたのは、生活の一部としてギターがあったから。
「両親には感謝しています。父はギタリストでしたが、本当にギターが大好きで、楽しそうにやっているので、自分が弾けなくなったら私に託そうということもなかった。だからいつから覚えたのか、お風呂とか、ご飯とか、そういう生活のルーティーンの一部として、私はいつの間にかギターを弾いていたのです。母も小学校の教師でしたし、ステージママというわけではありませんでした」
それでも、毎日練習し、だんだんと「ギタリストになっていくんだろうな」という思いが膨らんでいきました。
「小学校の卒業文集には『ギタリストになる』と書いていましたね。4歳からピアノも習っていましたが、それは習い事で、ギターはもっと自分の一部だと感じていました」
やがてポップスを聴くこともありましたが、それも「弾く」こととは一線を引いていたようです。
「クラシックギターからエレキギターに行くという気持ちは全くなかったですね。光GENJIやドリカムの曲を聴いて楽しんでいましたが、それを演奏するという方向には行きませんでした。演奏する曲はやはりクラシックギターの曲で、この作曲家はなぜこの曲を作ったのかとか、そういうことに思いを馳せながら弾きたかったのです。弾くことが簡単だとは思ったことはありませんが、壁に突き当たっても、練習すれば乗り越えられてきた。それは第三者に導かれながら、学びの道に良いレールを敷いてもらってきたのだと思います」。