6人目の安全地帯と言われるほどに、そのヒット曲のほとんどの歌詞を提供。その他のアーティストにも書き続けた詞は3,200曲以上。先頃の稲垣潤一さんの新曲『哀しみのディスタンス』、中江有里さんの音楽プロデュースなど、精力的に作詞活動をされている松井五郎さん。その才能は作詞にとどまらず、アート作品にも現れます。5月に東京・ギャラリー5610で開催される時間外空想01「砂と形」展の話から、時間への想い、自身のあり方についてまで伺いました。
松井五郎さんとお会いすることになったのは、松井さんが不思議なラジオ番組をやっていらっしゃるのを知ったことがきっかけでした。
FM 世田谷とミュージックバードで月〜金曜の深夜に放送されている「ここは夜のどこか」という5分番組は、松井さんが自身で書いた詩を朗読し、選曲した曲をかけるというもの。タイトルコールもなく、誰が喋っているのかも名乗らない、風のような番組です。
「普通の番組じゃないでしょう」
そう言って、ふっと微笑む松井さん。収録したものを聴かせていただくと、そこには低音の通る声で淡々と言葉が発せられています。
Twitterでも詩のように湧き上がってくる言葉をつぶやいておられますが、ふと心の奥に響いていくるものがあります。
おそらく、3,200曲以上と言われる詞の作品群は、その海のように無限な言葉の上の、氷山の一角なのでしょう。
もともとは、アマチュアバンドを組んで自作自演し、ヤマハのポピュラーソングコンテストで注目されていました。
「クリスタルキングの『大都会』がグランプリを獲った年にも出場しましたが、その迫力に圧倒されて、僕たちのバンドは解散しました(笑)。その頃、プロデューサーの方からCHAGE&ASKAの歌詞を書いてみないかと声をかけていただいたんです」
Chage&ASKAはちょうど『万里の河』がヒットしていた1983年。松井さんはアルバム『熱風』から関わることになります。
「年も同じだし、グループの一員みたいになって一緒に作っていましたね。僕はお酒は飲まないし、そういう付き合い方をしないから、彼らとも仕事の時しか会う機会がなかった。アーティストとの距離感はその頃から意識していたように思います。じっくり話をして、その良さを引き出すように歌を当て書きしていくんですが、近くなり過ぎると、イエス、ノーが言えなくなるでしょう。遠慮や忖度というのは、ものづくりには良くない」。
こうして、依頼される形で作詞家・松井五郎は誕生したのでした。