フレグラボ二度目の登場となるかの香織さん。前回は自ら実家の酒蔵を引き継ぐことになったお話をメインにしていただきました。今回は、12月21日にベストアルバム『CAOLI CANO COLLECTION』(ソニーミュージック)を発売するにあたり、音楽にスポットを当てます。でも彼女にとって音楽=人生そのもの。まずはレコーディングの前に一ヶ月もインドで過ごしたのだそうです。
これまでも、心身リセットを果たした今も。強い芯は変わらない、かのさんの柔らかな生き方を追いました。
1982年。宮城県で酒蔵を営む実家から、音楽大学入学のために上京したかの香織さん。彼女はそのまま一気にカルチャームーブメントが沸々と育ちつつあった東京で根を張り始めました。
「渋谷区神宮前にあった『ピテカントロプス・エレクトス』というアートの巣窟で、夜な夜な過ごすようになりました。現存するビラ・ビアンカという建物の地下にあって、当時その場所のプロデュースや『スネークマンショー』をプロデュースしていた桑原茂一氏との出会いが私をクラシックではない音楽へと導いていったのです。そこで結成した『ショコラータ』というバンドで1983年にステージ・デビューしました。ショコラータのアルバムはTORAというインディーズレーベルで出しています」
もちろん、かのさんはバンドでボーカルを担当。
「クラシックを聴く一方で、エレクトロニックな音に憧れていました。学校では私の声はややハスキーなのでクラシック向きではないと言われていましたから『歌わなくていい』と(苦笑)。
歌いたかったんですよね」
やがて1991年にはかの香織としてのソロ・デビューとなりました。バンドデビューからは来年で40年、ソロデビューからは30年。
しかしそのソロ・デビューの前に、世界を旅した時代がありました。
「88年から90年にかけての頃ですかね。節目節目に旅に出るんですよね、私って。ロンドンで絵をやっている親戚を訪ねて行ったり、NYのクラブでデビューする女の子のマネージメントを手伝ったり。裏方の仕事をしたという、それは得難い経験でした。当時のNYには、3000人から4000人は収容できるクラブがいくつもあって、プロモーションのためにそこをリムジンで回るんです。私がマイク・チェックして、彼女のヘアメイクとスタイリストもやって、DJやスタッフにコンポジットを配って。しかもね、楽屋に行くのに1回ステージを通らないといけないクラブとかもあって、私がマイクをセッティングしていると、みんながヒューヒュー言ってすごい拍手するんですよ。えーっ、私じゃないよ、でも歌っちゃおうか、と思ったり(笑)」
ロンドン時代は、いろんなアーティストのレコーディングの手伝いもしたそう。
「別にそこで勉強しようとかではないんですけどね。面白いっ、ていう好奇心で動いてしまうんです。その頃、インドも行きました。いろんなところへ旅をしたなあ」。