世界中での思いがけない経験が、彼女の曲作りの栄養になっていったのかもしれません。
「ショコラータはコンセプトありきの音作りだったから、普通に曲を書いて歌ってみたいなという思いはありました。それで、書き溜めていって。1991年にかの香織として、ソロ・デビューしました」
彼女の洒落た感性を最高の形で表現するべく、スタッフはパリやスウェーデンでのレコーディングを企画しました。
「旅をしながら音を作っていく、最高の環境でした。ただ、パリだと、ご飯ばかり食べていてレコーディングがなかなか始まらないんです。昼の12時頃集合して、ランチを食べるんですね。映画の話、本の話。どんどん楽しくなって、もう1本ワイン開けましょう、ということになる。『どうしよう、酔っ払ってしまったら歌えないわ』と思いながら。今日の譜面はいつ書くの、と。それで、19時半くらいからスタートになって。またお腹が空いて夜ご飯どうしよう、と(笑)」
この滞在での食事の時間が、彼女が実家の醸造を引き継ぐきっかけになったのは、前回のインタビューにもありました。
「本当に不思議なことに、そういう場に必ずワインの醸造家や農家の人たちがいて。後々、その時の音楽プロデューサーまでがワイナリーを買うことになったりしました」
90年代半ば。まさにパリはヌーベル・キュイジーヌが大全盛で、料理とワインのペアリングなども、提供側だけでなく、食べる人々が熱心に語り合った時代でした。
「アラン・デュカスみたいな人も現れて。私たちは徹底的にレストラン巡りをしました。一番面白かったのは、ある店のシェフが、デザートの後に屋台を引いてきたことがあったんです。それも日本のおじさんのように、前かがみで、のっしのっしと。『本日、最後のギフトです。どうぞ抜いてください』そう言って、指差す先には、べっこう飴が刺さっていたんです。びっくりしたり笑ったり。可愛くて楽しかったですね」
曲を書いて、歌って、食べて、料理をして。そんな幸せな混沌の中で、今のかのさんも出来上がっていったのです。
「時間の感覚がわからない暮らしでしたね。周囲の素晴らしい音楽スタッフたちは、また貪欲なグルマンでもありました。国内のキャンペーンでも、北海道で食べたことのない魚を食べたり、食べ物を干すという文化を知ったり、大阪の鶴橋あたりで、お酒の箱をひっくり返してテーブル代わりに飲んだり。私の中にたくさんのお取り寄せディクショナリーもできました。そして発酵で造る日本酒への愛情も深まっていったのでした」。